ことばを はなすことが できるのは ひとだけだ
ちょっとした経緯から、15年ほど前に出版された、丸谷才一と山崎正和の対話集
『日本語の21世紀のために
を読んだ。
「インテリ」という冠称がいかにも相応しそうなこの二氏。
私にはいささかの因縁があります。
山崎氏は劇作家としても名の通った方ですが、私が大学に入った時、その大学の所属学部の教授でした。
もっとも、氏の授業は受けた記憶がありません。
丸谷氏は、やはり大学に入ったころ、
『横しぐれ
という短編集を読んだ記憶が鮮明に残っています。
福田恒存の『私の国語教室
今回2人の対談集を読んでみると、インテリ臭がやや鼻につくものの、不易と流行という二面性を持つ日本語(言語とはすべてそうだが)の不易の面への拘りには共感するところがあります。
対談は自ずと、日本語の学校教育というところに向かいます。
丸谷氏は、義務教育段階で教えるのは国語だけでいいという考え。
「言葉というのは本来中身のあるものですから、言葉を教えておけば当然中身もついてくるんですね。それを、検定教科書のほうは、言葉を単なる伝達の技術的道具として教えておいて、中身は別の学課を立てて教えましょうと、こうやってるわけですよ」
それに賛同しながら、山崎氏も、
「私はもっと過激で、社会を統一する教育と、個人が自己実現するための教育を分けるべきであって、義務教育は3日でいいという説です」
と言う。
そういう考えに基づいて、実際、山崎氏が作った大学の入試問題が結構面白い。
「にもかかわらず」とか「憾みなしとしない」といった、文章と文章をつなぐ慣用句を5つ出し、これを全部使って猫の長所と短所を書け、というものです。
答案は3人の教師が採点するが、その一致率が90%以上になった。
しかも、答案には良い文章が目立つ。
ふつう、そういう試験で満点というのはまずないものなのに、満点が3人出たという。
「作文の試験に1日かけてもいいと、僕は思っています」
と丸谷氏が賛意を表すると、山崎氏は、
「文科系の試験は、それだけでもいいんですよ。知識は大学に入ってから、いくらでも教えられますから」
と、さらに自説を展開する。
丸谷氏が絶賛する『にほんご』という小学1年生用の教科書がある。
谷川俊太郎、大岡信、安野光雅、松井直の4氏が検定を前提とせずに編集したものです。
その中には、例えば、こんな文章があります。
こうていに でて、
あおぞらを みあげながら
「そら」って いってごらん。
かぜに なったつもりで、
はしりながら「かぜ」って いってごらん。
どんな きもち?
ことばは からだの なかから わいてくる。
もう一つ。
ないたり ほえたり さえずったり、
こえをだす いきものは、
たくさんいるね。
けれど ことばを
はなすことの できるのは、
ひとだけだ。
「言葉が人をつくる」
と言ってもまんざら誇張ではないと、私も思う。

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