僕にあみだが当たるような気がしてたんです
毎月1回のペースで続けている青年1DAY 研修会を今日終えたところです。
先月から原理講義演習を始めており、今日は総序から創造原理第1節。
第1節で出てくる「二性性相」は講義しようとすると難しくもありますが、原理全体の基礎とも言うべき重要な箇所でもあります。
5年前、本体論の1か月修錬会に参加しました。
私の記憶では、原理講義全体の3分の1くらいは、この「二性性相」に関する説明でした。
そして、講師がこう言ったのです。
「この二性性相がよく分かれば、原理の80%は分かったことになる」
ところで、実際原理講義をするとなると、原理講論には「本質」とか「属性」などといった用語も出てきて、初めての人には難しい。
頭痛の種にもなると思い、最初の講義では、私は敢えて触れないようにしているのです。
それでも、私が今日一通り講義してみて、
「これを参考にして、皆さんそれぞれで講義案を工夫して作ってみてください」
と言うと、青年たちは皆、思いの外、頭を抱え始めるのです。
「聞いているときは、何となく分かったような気がしたのに、いざ自分で講義してみようと言われると、どこからどのように話したらいいのか、頭が混乱する」
と言う。
まあ、初めは誰でもそんなものでしょう。
しかし、大変ではあるけれど、脳から汗をかくようにして格闘し、ここをより深く理解できるようになれば、青年たちの原理理解はぐっと深まるだろうと期待できます。
午前の演習を終え、昼食を食べた後、今年の祝福式に参加が決まった青年に、教会長が祝祷をしてくださいました。
みんなでお祝いのケーキをいただき、午後の演習へ。
さて、そんなふうにして1日の講義演習が終わり、最後に、終わりの祈祷を誰にしてもらうかと思いめぐらし、思いついたのが「あみだくじ」。
ホワイトボードにあみだを書き、一人ずつ始発点を選んでもらってくじを引くと、さっき祝祷をもらった青年に当たったのです。
彼はやや苦悶しながら、訥々とした祈りを始める。
そして最後に、今日教会長から祈りをもらったことへの感謝の言葉が出る。
「嬉しかったんだなあ」
と思いながら、彼の祈りを聞きました。
すると、彼が帰り際に、
「今日、僕にあみだが当たるような気がしたんです。当たったら、絶対、祝福への感謝を祈らないといけないと思ったんです」
と言うのです。
「へえ~」
と、ちょっと驚き。
「彼もそんなふうに考えるようになってきたんだなあ」
と、感慨深いものがありました。
2年近く、緩やかな教育を続けてきて、劇的な変化は見られないように思っていたのですが、内面においては何かが少しずつ、しかし着実に変わってきたのだということを、垣間見たような気がしたのです。

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