神様の95%に焦点を当ててみる
久しぶりに担当した礼拝の説教。
タイトルは、
「神様の本性」。
今回の礼拝から、参加者が順番に1人ずつ5分から10分の原理講義をすることになりました。
すると驚いたことに、トップバッターになった方が、
「私は予定論を講義する」
と言うのです。
実は私も説教で予定論の内容を使うつもりでいた。
「トップバッターだから総序だと思っていたら、予定論とは!」
と奇妙な一致に不思議な感じがしたのです。
さて、トップバッターは3時間チャートで予定論を講義。
神様の95%と人間の5%が出てきます。
ふつうは、人間の5%に焦点を当てて講義するのが常です。
それで私は、神様の95%に焦点を当ててみようと思ったのです。
神様の95%に焦点を当ててみれば、神様のどんな本性が見えてくるか。
それが分かれば、私たちもそれに似る道が見えてくる可能性がある。
その可能性にどんな意味があるのでしょうか。
神様の本性に似ることが私たちの人生です。
そのためには、神様の本性がはっきりと分かる必要があります。
私たちはふつう、神様が人間に5%の責任を与えられたことの意味と目的に焦点を当てます。
その目的とは、①神の創造性を賦与する、②万物の主人となる、などと説明されています。
それはそれで重要なことですが、神様に焦点を当てると、
「神様はなぜ95%を担当しようと考えられたのか」
という疑問が浮かび上がってくるのです。
原理講論の「終末論」の中に、
「堕落は人間自身の過ち(5%)の結果だが、神はこの結果に対して、創造主としての責任(95%)を負わなければならない」
とあります。
ここでは「創造主としての」とありますが、何となくしっくりこない。
神様の心情は「父母としての」でしょう。
父母であれば、
「子女の過ちは、自分の責任だ」
と感じるものです。
つまり、父母としての責任は95%ではなく、心情としては100%なのです。
ここに神様の本性を見出すと、人間同士での親子関係にそのまま当てはめることができます。
結婚して家庭を持ち、子どもを産み育てることの意味がより明瞭になってきます。

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