オウタくん、歩けるよ
毎晩、母と書写をする。
書写というのは、筆で書くにしても、薄い紙の下に手本があるので、それをなぞって書くのです。
手本があれば、当たり前のように形が整う。
これから筆がどの方向に動けばいいのかが目に見えるからです。
このことは、手本のないスペースに自分で書こうとすると、途端に分かります。
そこでは、まったく、思い通りの字が書けなくなるのです。
一流の書家というのは、もちろん下に手本はないので、頭の中に目に見えない手本があるのだろうかと推測します。
金澤翔子さんの書は、驚くべきものです。
これはただ単に、手に持った筆先が動いているというようなものではない。
そのいくつかを味わってみましょう。



エピソードも一つ。
席上揮毫の会場でのこと。
会場に、欧太君というダウン症の男の子が来ていた。
「3歳だけど、まだ歩けないんです」
と、若い父母。
すると、翔子さんが近づいて欧太君を抱きながら、
「オウタくん、歩ける、歩ける、歩けるよ ....」
と囁いた。
次の瞬間。
会場全体が思いもかけない光景を見た。
一歩、二歩、三歩 .... なんと十三歩、欧太君が歩いたのです。
それだけではない。
歩いた後の欧太君の顔つきはまるで変っていた。
さっきまで目の下に確かにあった赤いあざが消えうせ、顔つきは自信に満ちたものになっていたのです。
実は、翔子さん自身も、ダウン症なのです。

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