「先生、年を越せますかねえ?」
「血圧の数値は少し低めですが、数字にはあまり拘らないほうがいいと思います。大事なことは、顔の表情。顔の表情が穏やかであれば、それは最高のケアをうけているという証拠だと考える」
昨夜のNHK番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」に登場した、訪問診療医、小澤竹俊さんがそう語る。
大病を患い、治るための治療をもはや諦めた末期患者と面と向かうとき、最も当てになる指標は最新の医療機器で測れる数値ではなく、その人の表情だというのです。
今日は少し胸が苦しい。
お腹の調子がいつもとちょっと違う。
そういう、本人しか分からない微妙な日々の変化でさえ、末期患者にとってはかなり深刻な不安の要因になり得るでしょう。
その患者に、家族や医療者はどのように接すべきか。
その接し方が良ければ、患者に多少の不安や痛みがあっても、患者の表情は穏やかになれるかもしれません。
小澤医師が患者に対応する様子を見ていて、その喋り方がちょっと人工的な感じがするほどに整っていました。
脚本があって、それをきちんと読んででもいるような印象。
それくらいに、一言一言を慎重に考えた語り方です。
患者にとって、難しすぎはしないけれど、ふだん意識的に考えていないような質問を投げかける。
患者が少し考えて、それに答えると、その言葉を慎重に繰り返す。
それを聞いて、患者は今自分が何を話したかを確認する。
「傾聴」セオリーの見事な実践です。
小澤医師が患者の気持ちにどれほど細心な注意を払っているか。
それをはっきりと示す、驚きの一場面がありました。
心臓を患い、余命が長くないことは本人も家族も知っている患者を訪問した折のこと。
年の瀬が押し詰まっていました。
患者が、一言、尋ねます。
「先生、年を越せますかねえ」
患者にすれば、意を決した、答えを聞くのが恐ろしい質問でしょう。
不安と期待の入り混じった、自分の運命を決するような質問です。
すると、小澤医師は、一言、答えます。
「もちろん」
質問から答えまで、およそ2秒の沈黙がありました。
もし、即座に答えれば、嘘っぽく響きます。
「元気づけようとして、断言して見せているだけじゃないのか?」
という疑いがわきます。
反対に、3秒以上あければ、
「その『もちろん』は嘘だろう」
という気がします。
医師の迷いを感じさせるからです。
だから、この2秒という間が絶妙なのです。
「自分では分からないから、信じてみよう」
という気持ちに、患者をさせるのです。
小澤医師がいかによく患者の気持ちを汲んでいるかが分かります。
そして、その心が見事なスキルで形になっているのです。
人の命を扱うプロの心意気とスキルは、凄いものだ。
つくづく感心させられました。

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