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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

蕩減の所在

2017/03/01
原理を学ぶ 1
20170301 

先日、教会員たちを相手に行った講義の最後のひとコマです。

蕩減の所在

この意味を分かりやすく説明してみるために、こういう場面設定をしてみました。

思春期を迎えた息子が、ふとしたきっかけからマリファナをするようになった。
そのことに気づいた母親は、パニック。

「何が原因で? どうしたら止めさせることができるの?」
と、夜も寝られないほどに心配し、悩む。

夫にも話したが、かねてより子育てについてはなかなか意見が合わず、協力することが難しかった。
今回の問題でも、下手をすると夫婦喧嘩の種になるばかり。

このような問題が家庭の中に起こった場合、父、母、息子それぞれにとって「蕩減」は一体どこにあるのか
その問題に各自がどう対処したらいいのか。

これが、受講者たちに考えてもらった設問です。

コマの中では、3人それぞれに自分の言い分があります。

母親には、
「息子に問題が起こったのは、あなた(夫)が私に協力してくれなかったから」
という夫への不満がある。

父親にも、
「お前(妻)がいつだって俺の意見を無視して勝手にやるから」
という積年の恨みがある。

息子はどうしてマリファナを始めたかというと、
「ぼくがマリファアにはまったのは、父さん母さんの喧嘩を毎日見るのが嫌で」
という言い訳がある。

この3人の言い分には一つの共通点があります。

この問題の責任は、私以外の誰かにある
と主張していることです。

3人の主張はそれぞれ分からないでもないし、私がその立場にいたら、やはり同じことを言いそうな気もします。
しかし考えてみると、この主張は典型的な「責任転嫁」です。

責任転嫁に隠されている意味は、
この問題について、私には蕩減がない
と言っているということです。

実際のところ、蕩減は一体どこにあるのでしょうか。

私がこの問題に関わったということは、実は、それだけで間違いなく、私自身に蕩減があるということです。
逆に言えば、私に清算すべき蕩減があるから、私はその問題に遭遇した。
これが一番正確な言い分だろうと、私は思います。

私が清算すべき蕩減があるゆえに私はその問題に遭遇したのに、そこで、
「この問題について、私には蕩減がない」
と言って責任転嫁すれば、私は自分が負っている蕩減を清算できなくなってしまう。

それで、このコマの設問「蕩減の所在」に対する答えは、
「蕩減は常に私の中にある」
ということになるだろうと思うのです。

それなら、この3人にはそれぞれどんな蕩減があるのか。
その蕩減を清算するために、どう対処したらいいのか。
それは読者諸氏も考えてみてください。

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Comments 1

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No title

続きはあるのですか? あれば早く読みたいです。

2017/03/04 (Sat) 08:17