蕩減の所在
先日、教会員たちを相手に行った講義の最後のひとコマです。
「蕩減の所在」
この意味を分かりやすく説明してみるために、こういう場面設定をしてみました。
思春期を迎えた息子が、ふとしたきっかけからマリファナをするようになった。
そのことに気づいた母親は、パニック。
「何が原因で? どうしたら止めさせることができるの?」
と、夜も寝られないほどに心配し、悩む。
夫にも話したが、かねてより子育てについてはなかなか意見が合わず、協力することが難しかった。
今回の問題でも、下手をすると夫婦喧嘩の種になるばかり。
このような問題が家庭の中に起こった場合、父、母、息子それぞれにとって「蕩減」は一体どこにあるのか。
その問題に各自がどう対処したらいいのか。
これが、受講者たちに考えてもらった設問です。
コマの中では、3人それぞれに自分の言い分があります。
母親には、
「息子に問題が起こったのは、あなた(夫)が私に協力してくれなかったから」
という夫への不満がある。
父親にも、
「お前(妻)がいつだって俺の意見を無視して勝手にやるから」
という積年の恨みがある。
息子はどうしてマリファナを始めたかというと、
「ぼくがマリファアにはまったのは、父さん母さんの喧嘩を毎日見るのが嫌で」
という言い訳がある。
この3人の言い分には一つの共通点があります。
「この問題の責任は、私以外の誰かにある」
と主張していることです。
3人の主張はそれぞれ分からないでもないし、私がその立場にいたら、やはり同じことを言いそうな気もします。
しかし考えてみると、この主張は典型的な「責任転嫁」です。
責任転嫁に隠されている意味は、
「この問題について、私には蕩減がない」
と言っているということです。
実際のところ、蕩減は一体どこにあるのでしょうか。
私がこの問題に関わったということは、実は、それだけで間違いなく、私自身に蕩減があるということです。
逆に言えば、私に清算すべき蕩減があるから、私はその問題に遭遇した。
これが一番正確な言い分だろうと、私は思います。
私が清算すべき蕩減があるゆえに私はその問題に遭遇したのに、そこで、
「この問題について、私には蕩減がない」
と言って責任転嫁すれば、私は自分が負っている蕩減を清算できなくなってしまう。
それで、このコマの設問「蕩減の所在」に対する答えは、
「蕩減は常に私の中にある」
ということになるだろうと思うのです。
それなら、この3人にはそれぞれどんな蕩減があるのか。
その蕩減を清算するために、どう対処したらいいのか。
それは読者諸氏も考えてみてください。

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