悪霊が再臨復活する2つ目の方法
原理講論の「復活論」に、霊界の悪霊が再臨復活するには2つの方法があるという説明があります。
一つは、悪霊を直接地上人(Aさん)に再臨させて、悪なる業をさせるという方法。
もう一つは、その悪霊が地上人(Aさん)にしようとするのと同じ程度の悪の業をしようとしている別の地上人(Bさん)に再臨させ、彼(Bさん)が実体としてその地上人(Aさん)に悪の業をさせるという方法です。
この2通りのいづれの場合においても、苦痛を受けた地上人がその苦痛を「甘受」した場合においてのみ「蕩減条件」が立てられるという原理は同じです。
蕩減条件を立てようとする目的は同じなのに、どうして2通りの方法を神様が採用されるのか。
第一と第二の場合では、何がどう違うのか。
ここでは、2番目の場合を中心にこの問題を考えてみようと思います。
原理講論では、Bさんは悪人そのものという印象を受けます。
オレオレ詐欺でAさんを見事に騙して、大金をせしめる。
あるいは、包丁でももって脅し、これまたお金を奪うか、恨みを晴らすためにぶすりと刺すか。
もちろん、そういう場面も想定できるでしょう。
しかし、どうもBさんはそういう有無を言わさぬ悪人であるとは限らないのではないか。
最近、私はそんなふうにも考えるようになったのです。
こういう例を考えてみましょう。
思春期を迎えた息子が、ふとしたきっかけでマリファナを始めてしまう。
あるときそれを知ったお母さんは、肝をつぶし、生きた心地がしなくなった。
「まさか我が息子がこんなことになるとは ... 。どうしたらいいのだろう?」
昼も夜もお母さんの懊悩は止むことがなく、目の前が真っ暗になったような気がする。
この場合、お母さんはAさんで、息子がBさんだと考えることができます。
息子はお母さんにとって、決して悪人ではないけれど、しかし今や最高の苦痛を与える存在になっている。
その意味で、息子をBさんだといってもおかしくないでしょう。
このとき、息子の背後には再臨した悪霊がいるのかどうか。
私には確たることが言えませんが、そう考えてもいいでしょう。
さて、そうだとすると、お母さんは一体どのようにこの問題に対処すべきか。
お母さんには自らが背負うべき「蕩減」があるのです。
マリファナに溺れる息子をもって、心配で胸がつぶれる思いを味わうというのが、このお母さんの背負っている「蕩減」です。
それなら、お母さんはこの苦痛を「甘受」しなければならない。
そうしなければ蕩減条件が立たないからです。
このような場合、いろいろな対処方法が考えられます。
例えば、息子から無理やりにでもマリファナを取り上げる。
あるいは、説得してカウンセラーのところへ連れて行くという手もあります。
しかし、どのような行動に出るにせよ、お母さんが最初に取り組むべき対応は「甘受」なのです。
「マリファナを吸う息子を肯定しろというのですか? それで問題が解決しますか? 甘受なんてとてもできる話ではない」
という異議、反論が当然出てきそうです。
もっともです。
しかし考えてみると、息子がこういう問題を起こさなかったら、お母さんは自分がどんな「蕩減」を抱えているのか、気づくことができたでしょうか。
気づくことができなければ、当然、蕩減条件を立てることもできなかったのです。
そう考えると、息子はお母さんの問題を解決する手助けをしたことになります。
もちろん、息子自身はそんなことなど、微塵も自覚しているはずがない。
まさに、悪霊を通した神のなせる業ということもできます。
「息子の問題を通して、私の抱えている蕩減が浮き彫りになった。それを解決できるチャンスを与えられたのだから、これを生かそう」
これがお母さんの「甘受」だと見做していいでしょう。
「甘受」ができると蕩減条件が立つ、蕩減条件が立てば「復活」するというのが、復活論の保証です。
この場合、三者が関わっています。
要に立っているお母さんが蕩減条件を立てることに成功すれば、お母さん本人だけでなく、背後で働いた悪霊も、そしてなんと、お母さんを苦しめていた息子も、ともに復活の恩恵に与ることができる。
第一の方法だと、二者のみの関わりですから、復活も二者なのですが、第二の方法なら一遍に三者が同時復活できる。
ここに第二の方法のより優れた点があります。
さて、復活できるというなら、「甘受」を通して実際にはお母さんはどのように変わり、息子はどのように変わる可能性があるのか。
それについては、次に考えます。

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