十倍幸せな人になる
皆さんは伝道勝利のために、たくさんの精誠を捧げていらっしゃると思いますが、同時に私たち自身も、十倍さらに幸せになったらよいと思います。
皆さん一人一人が十倍幸せになるとき、十倍の人が伝道され、勝利は自然についてくるでしょう。
(「世界家庭」12月号 李海玉先生)
こういう話は人の共感を呼びながらも、大抵は「抽象的な理想論」「要検討」の箱に入れて、蓋を閉じられることが多い。
しかし、やはり本質的に重要なことだと思うのです。
「荒野時代から、定着時代へ」
「個人の時代から、家庭の時代へ」
「家庭連合は家庭を救済する運動だ」
というフレーズもよく使われます。
しかし、
「個人の時代と家庭の時代で、一体何が違うのだろう? 家庭を救うとはどういうことだろう?」
という疑問が私の中でも、いまだに曖昧模糊としているのを否定できません。
荒野時代というのは、家を捨てて出家をし、周囲の反対迫害を押し返しながら進む時代です。
「反対する父母やこの世は、神も神の理想も知らない」
と考え、唯我独尊の生き方をします。
このような生き方が「幸福」だとは、言えない。
「最高の理想だ」
とは思っても、心からの笑顔になりにくい。
家庭時代、というのは、この「心からの笑顔」が絶えない時代。
個人的にも、家庭的にも、周囲を羨むことが何もない時代。
私たちが本当にそういう家庭時代に入ろうとすれば、一体何が必要になるのでしょうか。
昔、イエス様が追従者の一人から、
「律法の中で最も重要な律法を上げるとすれば、何でしょうか?」
と問われたのに対して、その二番目に挙げたのが、
「あなた自身を愛するように、あなたの隣人を愛することだ」
と答えられたと、聖書は伝えています。
この答えは、往々にして、その後半、「隣人を愛せ」というところが注目されがちですが、家庭時代には、その前半「あなた自身を愛する」という部分に目を向けるべきではないかという気がしています。
「あなた自身を愛する」
と言えば、一見自己中心のようにも思えます。
しかし、よく考えてみると、
「自分を愛するように」
というのですから、結局は、
「自分を愛する、その程度に応じて、隣人を愛せる」
ということになるのです。
つまり、自分を50しか愛せなければ、隣人もせいぜい50までしか愛せない。
しかし、自分を100愛せるようになれば、隣人も同じ100まで愛せる可能性が出てきます。
その意味で、
「自分をどれくらい愛せるか」
ということは、とても重要なのです。
もちろん、どのように自分を愛するかということが問題です。
李先生が言われれるように「十倍さらに幸せに」なれる愛し方をしないといけないでしょう。
そういう愛し方を、荒野時代、個人の時代には、よく知らなかった。
そして、いまだによく知らない。
李耀翰牧師がこんなふうに言っておられます。
神の仕事は何かというと、自分が真の人(幸福な人)になることであるのに、信じることが神の仕事だと錯覚しました。そして、信仰を証したり、宣べ伝えることが神の仕事だと間違って考えたのです。自分がまず真の人(幸福な人)になったあとで、他の人を真なる者(幸福な人)にしなければならないことが分かりませんでした。
自分のことはそのままほうっておいて、「自分は神の人(幸福な人)だ」と言いながら、神の仕事をしていると考えるのは、自分を偽物(不幸な人)にすることです。
信じるという人たちが本当の意味で神を信じず(幸福になれず)、また神の身代わりをして神を宣布するという人たちが誇ることのできる自分(幸福な人)になれなかったのです。
(「真の人を見せてあげなさい」李耀翰牧師)

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