「偶発的」というのはおかしいと思う
会員を対象にした3回シリーズの講座を始めています。
第1講座:2つの偉大なみ言葉(我々はなぜみ言葉を学ぶのか)
第2講座:堕落論(堕落性という最も困難な課題の正体)
第3講座:復活論(いかにして蕩減条件を立て、堕落性を克服するか)
今日はこの第2講座でした。
講義の中に、
「天使が神に反逆してエバと血縁関係を結んだとき、偶発的に生じた性稟が、堕落人間のすべての堕落性を誘発する根本的な性稟となってしまった」
という堕落性の説明があります。
受講者の一人Aさんが、
「偶発的に生じた」
という一句にとてもひっかかりました。
講義を終えて一緒に昼食をとりながら、そのことをしきりに言うのです。
「偶発的というのはおかしいと思う。たまたま生じたと言えば、神様はそこまで考えていなかったのか。それなら神様がおかしい。どうしてそんなものが生じる可能性があるように創造したのか」
この主張に対して、他の受講者たちがそれぞれに、
「ああじゃないの、こうじゃないの」
と自説を展開し、説得を試みます。
この受講者たちのやり取りを聞きながら、私は非常に嬉しくなりました。
「わずか1時間ほどの講義が、皆さんの心に種を蒔いたようですね。その種からこういう賑やかな会話が生まれるんだから、講義をやった甲斐があったというものです」
Aさんが、「偶発的」で引っかかるとは予想もしていませんでした。
私自身、その個所を読みながら、実はその言葉にどこか引っかかっていたのです。
しかし、すぐにその場で説明するだけの準備がなかったので、何事もないようにやり過ごしたのです。
ところが、まさにその個所を見事に指摘してくれたので、驚きました。
なかなか難しい問題だと思います。
受講者たちはみんな、神様を「信じて」はいるでしょう。
しかし、「偶発的」をどのように受け止めるかという問題を解決しようとすれば、「どんな神様を信じているか」を突き詰めてみる必要が出てきます。
「他の人たちがみんな、何とかAさんを説得しようとしていますが、多分説得できないでしょう。結局最後は、本人が納得するしかないと思います。Aさん、次の第3講座にも是非出てみてください。多分、もっと引っかかると思います。『そんなこと、とても受け入れられない』と悩むかも知れません。次の講座が楽しみですね」
いずれにせよ、一つの講義がこういうみ言葉を中心とした会員同士の熱い会話を生み出したということに、私は何かとても展望が開けるような希望を感じたのです。

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