近世400年の受難

青年の週末修練会も先日の4回目で、原理講義は一通り終了。
最後は「メシヤ再降臨準備時代」「世界大戦」「再臨論」の3講座です。
受講する青年たちを眠らせないようにするのに骨を折る講義となりました。
下手をすると、特に「メシヤ再降臨...」は世界史の授業のような印象を与えかねない。
講師の真実な力量が問われる箇所だとも言え、決して満足のいく講義が出来たとも思えません。
メシヤを再臨させる前の400年間、神様は何を一番願って摂理されたのだろう。
そのことを、講義案の準備段階からずっと思い巡らしていました。
言うまでもなく、メシヤが再臨しても大丈夫な準備をすることが摂理の眼目に違いない。
そのために、腐敗の限度を超えた中世封建社会を瓦解させ、人間が堕落によって失った本性を回復させる必要があった。
その本性には内外両面があるので、一方で文芸復興を起こすとともに、他方では宗教改革を後押ししたのです。
ところが、現実の流れは神様の願い通りにはいかない。
神様は人間に与えた理知や理性を彼らがうまく駆使して、個性の尊重される自由な社会を創出してくれることを願われたであろうに、知性に優れた多くの者たちは理知や理性を徒に偏重するきらいがありました。
彼らは次第に心霊に響く啓示を等閑視するようになり、神様に背を向けるようになります。
理性は精神に属するようでありながら、その実、どうも肉体と強くつながっているのです。
一方、宗教改革の流れは人間の内的な本性を啓発する方向へ貢献してくれた面もありますが、これもまた理想的に進んだとは言えません。
教義論争が熾烈になり、それに嫌気が差した敬虔主義などが神との神秘的な一体化を求めるようになる一方、カルヴァンなどが「二重予定説」を作り出して、神を「地獄も創る神」にしてしまいます。
人間に本来備わっている内外の本性を回復させるという神様の摂理的な意図自体に、もちろん間違いはないとしても、堕落人間が本性を回復していく実際の道筋はあまりに厄介です。
特に彼らの外的本性復帰の運動は、神様の願いとは裏腹に、結局サタンに巧妙に利用され、強固な唯物主義、無神論を構築していくことになります。
最後の400年間、人類は「内的な受難の道」を通過したと言うのですが、これは本当に大変な過程だったと思います。
近世の400年は、神様の摂理としてどの程度成功したといえるのか。
難しいところです。

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