fc2ブログ
まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

コンビニ店員は男でも女でもなく、店員です

2016/09/17
読書三昧 1
20160917-1 

コンビニ店員として生まれる前のことは、どこかおぼろげで、鮮明には思いだせない。
郊外の住宅地で育った私は、普通の家に生まれ、普通に愛されて育った。けれど、私は少し奇妙がられる子供だった。(7)

コンビニでは、働くメンバーの一員であることが何よりも大切にされていて、こんなに複雑ではない。性別も年齢も国籍も関係なく、同じ制服を身につければ全員が「店員」という均等な存在だ。(38)

人手不足のコンビニでは、「可もなく不可もなく、とにかく店員として店に存在する」ということがとても喜ばれることがある。私は泉さんや菅原さんに比べると優秀な店員ではないが、無遅刻無欠勤でとにかく毎日来るということだけは誰にも負けないため、良い部品として扱われていた。(41)

コンビニ店員はみんな男でも女でもなく店員です!(49)

「あの年齢でコンビニをクビになるって、終わってますよね。あのままのたれ死んでくれればいいのに!」
皆が笑い声をあげ、私も「そうですね!」と頷きながら、私が異物になったときはこうして排除されるんだな、と思った。(69)

「コンビニに居続けるには『店員』になるしかないですよね。それは簡単なことです、制服を着てマニュアル通りに振る舞うこと」(87)

「つまり、皆の中にある『普通の人間』という架空の生き物を演じるんです。あのコンビニエンスストアで、全員が『店員』という架空の生き物を演じているのと同じですよ」(88)


『コンビニ人間』(村田沙耶香著)は、今年の7月に第155回芥川賞を受賞した作品です。
最近では小説などほとんど読まなくなっていた私が、珍しく2回も読み直してみました。

主人公の古倉恵子は、幼い頃から「少し奇妙がられる」ような子どもで、この世の人たちが「普通の人間」を演じながら生きる世の中では「異物」でした。

それで、いつも親から、
「あなたはおかしい。どうしてそうなの? 早くよく治ってくれればいいのに」
と言われ続けたのです。

ただ、自分ではどこが「おかしい」のか、分からないのです。
「あなたはおかしい」
と言われるから、
「自分はおかしいのだろう」
と思うだけです。

ところが、18歳のときに「コンビニ人間」として生まれて以後、初めて「普通の人間」として生きることができるようになりました。
コンビニ人間は男でも女でもなく、唯一のアイデンティティは「店員」であるということです。
コンビニの制服を着て、マニュアル通りに動けば、誰でも「店員」になることができます。

「店員」であり続けることは、主人公にとってとても生きやすい生き方でした。
普通の人間と看做されるからです。

それで、主人公は「良い部品」であることに安堵します。
コンビニという世界から排除されないために、ひたすら「良い部品」であり続けようとするのです。

普通には、
「この世の部品のように生きるのは嫌だ」
と言いそうですが、主人公は生まれたままの姿で生きると、どうしても「異物」になってしまうので、むしろ進んで「良い部品」になろうとしています。

普通なら、
「こういうことをしたい、ああいうことをしたい」
という願望を抱くものでしょうが、主人公にはそんな願望も意思もないのです。

この小説のどこに惹かれるのか。
あれこれ考えてみるのですが、いまだによく分かりません。
どこか、この主人公が抱いている「世の中と自分との距離感」とでもいうものに共感するところがあるのかとも思ったりします。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合(統一教会)へ
にほんブログ村
関連記事
スポンサーサイト



Comments 1

There are no comments yet.

tenmondai

No title

部品として生きるのはすごい気楽なんですよね。
自分で考えなくても良いし、部品なので責任を取らされることもない。

2016/09/17 (Sat) 19:19