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神と人間は50-50

kitasendo
20160830 

原理講論の堕落論の第6節に「神が人間始祖の堕落行為を干渉し給わなかった理由」が3つ列挙されており、その3つ目が、
人間を万物の主管位に立たせるために
となっています。

その中の一節に、
「神が創造主であられるがゆえに、人間を主管し得る資格を持っておられるように ...」
とあります。

これを見ると、神様の頭の中では、
「あるものを主管する資格は、それを創り出した者にのみある」
という考えがはっきりあるようです。

逆に言えば、自分で作ってもいないのに、
「これは私のものだ」
という奴は以ての外だということになります。
そういう奴は、略奪者です。

それで神様は、被造物である人間をどうしても創造主の立場に立てざるを得ない。
人間に責任分担を与えた目的の一つは、そこにあります。

その時、神ご自身が責任分担の95%を担当し、人間にはわずか5%だけを担当させたと説明されています。
神様と人間の能力の違いを考えれば、この割合は当然のように思えます。

ところが、このような割合で責任を分け合い、その分担で創造目的を成就した暁には、
「本当の創造主である神は95%を果たしたのに、人間は5%だけ果たしただけで『共同創造主』あるいは『第2創造主』というのは、いかがなものか」
というクレームが付きはしまいか。
そういう気がかりが生まれます。

神様の心には、
「私は95%の創造主、お前は5%だけの創造主」
というような思いがあるでしょうか。

共同創造主というからには、50-50の分担であってこそ、遜色がないように思います。
95%と5%という表現は、どうも便宜的な表現であって、神様の思いとしては、
「創造の偉業を私が50%を担当し、お前も50%を担当した」
というのが、より真実に近いのではないでしょうか。
そうでこそ、完成人間は本当の万物の主人になれます。

人間の親子も神様の原理に倣って、親が95%を受け持ち、子が5%を問われる。
子どもが成長する過程でさまざまな困難に遭遇しますが、間違いなく正道を行けるようにする責任は親が95%の責任を負う。
それで親は神様の心情を相続できます。

しかし、子が5%の責任を果たして立派に成長すれば、その時親は、
「お前の努力で立派になったな」
と言って褒めてやりたいでしょう。

親の心の中でも、責任分担は95-5ではなく、少なくとも50-50なのです。


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