Pokemon-Go で親子セミナー
私としてはかなり長い期間待ちわびた「親子セミナー」に参加してきました。
相棒は、この春大学を卒業し、故あってしばらく自宅でアルバイトをしている息子。
会場は県境の山中にある「いこいの村」。
一言で言って、本当に素晴らしいセミナーでした。
「参加できてよかった」
この感想は私だけでなく、最初はしぶしぶ参加した息子も持った感想です。
この感想の他に、息子は、
「相当に心を揺さぶられた」
とも言いました。
このセミナーの良さの8割から9割は、2日間で3講座あった講義の力であったと、私は感じます。
第1講座は創造原理「私の起源、私の価値」。
第2講座は「祝福の意義と価値1」。
第3講座は「祝福の意義と価値2」。
そして最後に「神様からの手紙」。
これらすべての講義が一本の線で貫かれていました。
「真の愛」
という軸です。
神様の太初の創造の動機が「真の愛」であったので、創造の過程も「真の愛」であり、最後に私がこの世に生まれたのも「真の愛」です。
真の愛は天地創造の百数十億年の間まったく変わらず、私の誕生にまでそのまま流れ込んでいるという事実の再発見。
この事実をスライドを使った画像と映像、そして音と音楽、そういうものを練りに練った構成で描かれるので、講義の場に座っていること自体が感動になっていきます。
「私という実体が出てくるまで、神様はこれほど長く、想像を超える期待感をもって待って来られたんだなあ」
という感慨が胸の内から我知らず湧き上がってくるのです。
こういう講義は私自身も(残念ながら)できませんし、これまで受けたこともありません。
実は、このセミナーに参加するまで、私の中には期待と不安が入り混じっていました。
「あの講師の講義は息子の胸にも響くだろう」
という期待がある反面、
「このセミナーでも変化がなければ、どうなるだろう?」
という不安もあったのです。
しかし、セミナーが近づくにつれて、私の中にはある思いが固まってきました。
「これは息子の問題ではない。私自身が神様のみ旨とみ言葉を私の人生にどう受け止めていくか。ここに私の真実がないなら、息子がどう変わろうと、結局はどうにもならないだろう」
思いがここに至ると、心は穏やかになってきました。
「やりたいことがあればやるし、嬉しいことがあれば喜ぶ。息子に話したいことがあれば話すし、聞きたいことがあれば聞く」
そんなふうに思ってセミナーに臨んだのです。
セミナーが始まる直前、Pokemon-Go が日本に上陸しました。
言うまでもなく、息子は即座にインストール。
セミナーに向かう車中でも、息子は助手席でしきりにポケモンを探します。
セミナーが始まっても、休み時間の多い緩いスケジュールのセミナーですから、休憩ごとに息子は私を誘って、短い時間でも車で近くを走ってみようと言うのです。
私は自分のスマホに入れてまでやる気はないものの、息子と一緒に探すのは楽しいのです。
「あの親子、休みの度に車でどこに出掛けているのか? 怪しい親子だ」
と思われるかもね。
2人でそんな話をしながら、走り回って、かなりの数ゲットしました。
講義の中でも出てきた言葉ですが、
「本当の原理は皆さんを束縛しない。真に解放してくれるのがみ言葉です」
私も最近、本当にそう思うのです。
これまで長い間、私は原理によってかなり縛られてきたような気がします。
「このようにしなければ、蕩減が生じる。そうなれば、却ってみ言葉を聞かないほうがよかったことになる」
そんなふうに思うので、それは当然、子どもの育て方にも反映されてきました。
だから結局、私は原理のゆえに子どもを相当束縛してきたと思うのです。
重たいおもりのような原理だったのです。
しかし、今回聞いた創造原理には束縛がほぼ皆無です。
責任分担も人生の目的も、真の愛から出てきます。
今回の講義については、うまくまとまれば、もう少し深く振り返ってみたいと思います。

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