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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

先生やめて、おばちゃんに戻りなさい

2016/06/23
生活日記 0
20160623

「あんた、先生はやめなさい。早く、昔のような『おばちゃん』に戻ったほうがいい」

今日、ある方と話している時、こんな言葉が耳に残りました。

その方は、小学生たちの放課後の生活を支援する活動に情熱を注いでおられます。
やり始めの頃は何の資格もない、ただの「おばちゃん」でした。
ところが、もっと活動の内実を高めようとすると、いろいろな研修にも参加し、その結果、ある種の「先生」と呼ばれ得るような立場にも立つようになる。

そういう姿を見ていた、ある老練の元教師(正式な学校の先生)がくれたアドバイスが、冒頭の言葉だったというのです。

長年、先生として子どもたちに関わってきた。
それはそれなりに、子どもたちに多くのことを教えてこれたと思っていた。
ところが、教師をやめて一介の指導員になってみて初めて分かったことがある。

「先生と、ただのおじちゃんとで、これほど子どもたちとの心の距離が違うものか」

年をとったただのおじちゃんになることで、子どもたちの心が思った以上に近づいてくるようになったことに気がついたというのです。

子どもたちを教えるには「先生」という肩書があったほうが効果的なこともあるでしょう。
しかし、本当に子どもたちの心を解放させ、ありのままの心に接して育てることができるのは、むしろ、ただの「おじちゃん」「おばちゃん」ではないか。

おじちゃん、おばちゃんが、自分の実の子でもない子どもたちの面倒を見て、困ったようなことがあればなんとか力になってやりたいと思うのは、仕事ではないのです。
「何とかしてやりたい」
という心が先立っているのです。

「氏族メシヤ」というタイトルも「教育部長」というタイトルも、下手をすると単なる肩書になりかねません。
世話をしてあげる相手との距離が、その肩書のゆえにかえって遠くなる可能性もあります。

「氏族メシヤ」という肩書が世間に通じるわけでもないし、報酬を前提とした仕事でもないでしょう。
むしろ、やりたくてやる「おじちゃん」「おばちゃん」の活動に近い。

昔読んだスウェーデンボルグの『
霊界日誌』の中に、
「天国人の活動の最も大きな報酬は、その活動を通して感じる『役立つことによって得る歓喜それ自体』である」
という言葉があったのを思い出します。


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