説得はしない、納得してほしい
1か月以上前に実施を決定して準備をしてきた2日修練会が今日の夕方終わったところです。
土曜、日曜を使った週末の修練会。
参加者は全員が青年です。
これも我が教会においてはかなり画期的なことですが、2日修練会の講義を担当するのも、私にとってかなり久しぶりのことでした。
ここ数年、私はほとんどパワーポイントを使わず、板書の講義を好んでやってきました。
パワーポイントはそれを作った時にすでに講義の筋書きが出来上がっています。
講義をするときにはそれが安心な面もあるのですが、そのことが却って、講義の現場で働きかけようとされる神様の動きを制約してしまうような気がしていたのです。
しかし、今回なぜか、数年ぶりにパワーポイントを使ってみる気になりました。
思い立ったのが遅く、創造原理からアブラハム家庭までの講義案を作るのに10日ほどしかなかったので、今回使ったパワーポイントはまだ試作品のようなものです。
それでもやってみると、心配したほどの制約を受けなかったような気がします。
例えば、アダム家庭でこういうページを作ってみました。

アダム家庭のポイントを6つの設問にして割り振ります。
そして、①から順番にリンクを張り、その設問に対する答えを考えるページに飛んでいって、そこで詳しく考えてみる。
そして、一定の考察が終われば、再びリンクを通して元の6つの設問ページに戻る。
次は、②以下も同様なプロセスで行って戻るを繰り返す。
こういうやり方は、パワーポイントの特性を生かせる効果的なやり方ではないかと感じました。
今回の講義内容は、私が過去1年ほどの間に原理講義を繰り返しながら悟らされた内容を積み重ねた「集約」とも言えるものにしたいと思っていました。
そして、第1講座「2つの偉大なみ言葉 我々はなぜみ言葉を学ぶのか」の冒頭に、こんなふうに話したのです。
「私はこれから8つの原理講座をする予定ですが、この講義を通して皆さんを『説得』するつもりもないし、それはできない相談だと思っています。私は皆さんがみ言葉によって『説得』されるのではなく、『納得』してほしいのです」
「原理は真理だ。正しい教えだから、信じなさい」
と言って、ある意味強制的に信じさせようとしない。
「ああ、こんな原理だったら、こんな神様だったら、信じたい」
そう思って信じるようになってほしい。
「そういう原理講義をしたい」
というのが、正真正銘、私の本音でした。
この意図が今回の2日間でどれだけ実ったのか、正直なところ私にはあまり自信がありません。
次回、来月の研修会にも出たいという声をだいぶ聞けたので、変わらない方向で続けていきたいと思うばかりです。

にほんブログ村
- 関連記事
-
-
人の心はどこで命を与えられるのか 2014/11/20
-
グノーシス主義とユダ福音書 2011/06/28
-
子どもにこれだけは伝えてください 2012/07/28
-
原理講論と原理本体論は何が違うのか 2012/07/09
-
スポンサーサイト