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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

愛は見える

2016/05/28
生活日記 2
20160528

真の父母を愛することを通して入っていくところが、天国である。
真の父母を愛していますか? (はい) どれくらい愛していますか? 皆さんの愛を見せてください。
(文鮮明先生)


清平の修練会に参加し、講義の中でこのみ言葉が引用されました。
短い引用ですが、深く考えさせられたみ言葉です。

愛は見えない。
ふつう、そのようにも考えます。

しかし、愛は見える。
見えるからこそ、人々は
「愛はある」
と昔から思ってきているのだともいえます。

愛はどのように見えるのでしょうか。
原理の言葉で言えば、
「性相は形状化する」
というのです。

見えないものは、必ず形に現れる。
現れなければならないようになっている。
それが神様の創造の原理であり、むしろ、形のないものを形に現してみたくて神様は創造を始められたのだと言えます。

道端のささやな草花を見てください。
散歩に連れて行ってほしいと毎日尻尾を振る愛犬を見てください。

それが愛です。
その中に神様の愛があるので、いくら見ても、何度繰り返しても飽きることがありません。
そのような愛の中でも、もっとも偉大な愛として現れるのは父母の愛です。
子どものために無限に犠牲の道を行くことを厭わない。
その人生自体が愛です。

特に真の父母は、青盲の子女たちに父母の愛を悟らせるために生涯を捧げてこられたのではなかったか。

どんな苦難も厭わない生涯。
怨讐をどこまでも愛する生涯。
炎天下でも嵐でも精誠を尽くす生涯。

それを子女に対する父母の愛だと感じる子女にとっては、他に真似のできない偉大な愛です。

ところで、そのように父母が子女を愛するのなら、子女は父母をどのように愛したらいいのでしょうか。
特にすべての子女にとって必須なことが、真の父母を愛することだと言っておられます。
それが天国への門だというのです。

「皆さんの愛を見せてください」
と言われると、戸惑います。

父母が困っていることがあれば助けてあげ、心配事があれば取り除いてあげ、行きたいところがあれば連れて行ってあげる。
それも父母を愛することには違いありません。

しかし、清心苑で祈ってみると、
「父母が子女に与えてくれた愛を形状化する(実らせる)ことではないか」
という思いが湧いてきます。

言い方を換えれば、
「本当の私になること」
です。

なろうとして努力を続けてはいますが、道のりはまだ遠いのです。


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