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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

父のみ言葉と母のみ言葉

2016/05/16
瞑想三昧 3
20160516 

み言葉にも「父のみ言葉」と「母のみ言葉」の2種類があるのではないかという気がしてきています。

このようなことを思うようになったのは、真のお母様が、
「原理のみ言葉のエキスは2つです。『愛しています』『感謝します』この2つだけが分かれば、原理のすべてが分かります」
と言われたのを聞いたところに端を発します。

文先生のみ言葉は膨大で、啓示的であると同時に哲学的。
深遠で、過去のあらゆる思想を内包すると同時に、凌駕する。
そのすべての内容を把握することは不可能とも思えます。

ところが、お母様はその膨大なみ言葉を、
「2つでいい」
と言われたのです。

はじめてその話を耳にしたとき、
「あまりにも簡単すぎる」
と思いました。

「こんな言葉は誰でも言える。あらゆる宗教にとって常識の中の常識」
というのが、正直な印象でした。

しかし、そのあまりの簡素化が気にかかり、あれこれ考えるようになったのです。

「あの膨大なみ言葉が、どうしてこのたった2つに集約されると言われるのだろう?」

おそらく(というより、間違いなく)お母様の意図は私が考えるような浅いものではないでしょう。
「愛しています」にも「感謝します」にも、考えれば考えるほど、どこまでも深く入っていくような気がします。

お母様がたどってこられた人生の中で、この2つのみ言葉をどのように味わってこられたのか。
それが分かれば分かるほど、この2つのみ言葉の深さも分かってくるのだろうと想像するばかりです。

父のみ言葉は、骨のようです。
縦の軸です。
これが我々の人生の方向性を有無を言わさず定めてくれます。

それに対して母のみ言葉は、肉のようです。
軸は絶対に必要なのですが、それだけでは日常生活の細かな部分までをすべてカバーすることが難しいように思えます。

そういう時に母が、
「こうすればいいのよ」
と言って、細やかに具体的に諭してくれる。

これが子どもにとっては、とても有り難いのです。

これまで私たちが聞いてきたのは、ほとんど父のみ言葉でした。
母はいつも父のみ言葉をそばで聞きながら、公式の場ではたいてい寡黙でした。

しかし、その父が聖和して霊界に移って行かれて以来、母はその寡黙を破られ、「母のみ言葉」を語られるようになったのです。
父のみ言葉と矛盾するのではありません。
軸に肉をつけるのです。

原理講論に
「み言葉の完成実体」
という表現があります。

それは一体どのような姿なのか。
分かるようで難しい。
父のみ言葉はあまりに膨大なので、それがどのように実体になるのか、イメージが結びにくいのです。

しかし、
「『私は(どのような人をも)愛しています』というみ言葉の完成実体」
と言えば、もう少し分かりやすい気がします。

ですから、母のみ言葉はちょっと聞いた時の印象よりも遥かに深いのです。

父のみ言葉と母のみ言葉がどのように合わさり調和するか。
私にとって、これからの原理講義の課題です。

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Comments 3

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2016/05/17 (Tue) 13:32

ミラクルサプライズ

男性と女性の違い

初めてコメントします。
男性は基本的に理性で言葉を語りますが、女性は対象的に感性で言葉を語ります。
私は夫婦での会話の際に、妻の直感的言動にいつも驚き助けられています。
私には無い思考力のキャパシティが結果的に広がって行き、より太極的な見識が極まって行くのを実感する毎日です。
天一国は家庭から始まるのなら、女性の存在価値を最大限引き出せる男性となってこそ、真のアダムと言える筈です。
家庭連合の公職者として、是非とも私と共にパラダイム大転換の先駆けとなって下さい。
貴方様の幸運をお祈り致します。m(__)m

2016/05/20 (Fri) 20:55

もみまま

 お父様は原理を持って愛を伝えて下り
お母様は愛をもって原理を伝えて下さっていると私は感じてます。二人でひとつです。私も似たものとなりたいです。
 
 

2016/05/20 (Fri) 21:16