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原理講師の能力を測定する

kitasendo
20160511 

講義担当者の能力測定というものが実施され、参加しました。

それぞれの教会の現場で、どのような原理講義がなされているのか。
講義を担当している講師の実力はどの程度なのか。
そういうことを把握しようという趣旨のようです。

把握した後、講義能力を伸ばすプログラムも準備するようです。
原理講師というのは普段かなり孤独でもあり、同時に独善的にもなり得るので、切磋琢磨するプログラムがあるとすれば、有り難いことです。

今回私にとっては、数年前にチャート原理講義研修で集まって以来、原理講義に正面から取り組む貴重な機会でした。

参加した講義担当者は、教会の教育部長や伝道所の所長など11名。
2人の審査官が最前列で受講します。

講義の持ち時間は1人が15分間。
くじ引きで当たった個所を講義し、その後5分程度、審査官から質問やコメントを受けます。

なるべく早い順番で講義したいと思って臨んだところ、トップバッターのくじに当たりました。
普段よく講義する箇所とはいえ、評価の目が前に4つ並ぶと、普段にはない緊張をするものです。

やや自己弁護的に言えば、こういう場では普段の講義をそのまま再現できないので、審査官はありのままの講義を見ることができないとも言えますが、それでも実力以上の講義もできないので、大体の評価はできそうです。

人の講義も聞きながら、思ったことがあります。

講義の中にポイントとなる言葉があります。

例えば、創造原理なら、
「三対象目的を完成した四位基台」
「個性完成した人間は神性を持ち、神と一体となり、み言葉の完成実体となる」
「霊人体が肉身に与える要素を生霊要素という」
などと説明します。

しかし、改めて考えてみると、その内容を正確に説明するのは決して易しくないのです。
その易しくない内容を、講師もある程度分かったような気持ちで講義し、受講者も何となく「そうなのかな」と思って聞き取る。
ところが、双方が本当にはよく分かっていないので、それが自分の生活にどのようにつながるのかということが曖昧になっているのです。

もちろん、創造原理だけではありません。
堕落論も復帰原理も同様です。

分かっているようで、
「この内容はどういうことか」
と問われると、説明の難しいのが原理です。

その点、審査官はさすがに一つ一つの内容について厳密厳格に追求している方のように見えました。
少なくとも講義者たる者なら、原理の内容は講義の時にだけ思い出し、それを受講者に伝えるものだと考えてはいけないでしょう。

「三対象目的とは何なのか、生霊要素はいつどのように流れているのか、み言葉の完成実体とはどんな実体か」
と、寝ても覚めても考え続けるような、み言葉に浸かった生活をする者であるべきだ。
そう思いました。

そして、もう一つ思ったことがあります。

本日の参加者13人は、すべて男性でした。
男性というのは概して分析的であり、論理的です。
言葉の定義にもこだわり、数理性も正確でないといけないと考えます。
私自身もその典型です。
そういう特性が講師に向いているとも言えます。

しかしその一方で、真のお母様が、
「原理のエキスは『愛しています』と『感謝します』の2つです。これが分かれば原理のすべてが分かります」
と言われたような、ある意味で極めて女性的(母性的)な観点も、これからの原理講義には重要ではないかと思うのです。

緻密で深く膨大な父性的なみ言葉と、簡潔で実践的な母性的なみ言葉。
この2つがこれからの原理講義にうまくミックスされれば、難しい原理の言葉がもう少しスムーズに日常生活とつながるのではないかという気がします。

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