良心が自分なりの角度を作っている
神様が、人間の人生を指導し監視する本源的な機能を、良心に伝授してくださったからです。
ところが、水晶のように清く透明でなければならない人間の良心に堕落性の垢がつき、今まで様々な罪悪と疾病の中で、本来の機能をすべて発揮できずにいるのです。
(天聖経 13-2-3-10)
堕落した私たち人間の力では、良心の機能を本然の位置に戻せる道はありません。
天との縦的な関係が垂直になることができずにいるからです。
65億の人類すべてが、自分なりの角度をつくり、それが正統であり最高のものであると錯覚して生きているのです。
(天聖経 13-2-3-11)
堕落した人間の良心の実情について、文先生はいろいろな比喩的表現を使っておられます。
最初のみ言葉では、
「清く透明であるべき良心がうまく機能しないのは、それに堕落性の垢がついて曇っているからだ」
という比喩。
これは比較的イメージしやすい比喩です。
それに対して、2番めのみ言葉では、
「本来垂直であるべき良心がうまく機能しないのは、その角度が垂直からずれているからだ」
という比喩。
これはちょっとイメージしにくい比喩です。
垢がついて曇っているのなら、自分の努力で一生懸命に拭けば、ある程度は本来の透明性を取り戻せるような気もします。
また、拭き取る方法もある程度は分かっています。
しかし、角度がずれている場合は、自分の力では戻せないと言っておられます。
神様との完全に垂直な関係を取り戻すしかないというのです。
今や70億を超える人間のすべてが、一人として垂直な角度の良心を持っていない。
それぞれが皆、微妙に違う角度になっていて、しかもその角度が正しいと思い込んでいる。
しかしこれを
「錯覚だ」
と文先生は言われるのです。
本当は正しくないのに、正しいと思い込んでいる。
「本当にそうだな」
と思います。
独裁者やカリスマ指導者に限ったことではありません。
どんな平凡な人でも、
「自分の考えていることが正しい。あの人はどうしてあんなふうに考えるんだろう?」
と心の中で思っているようです。
私自身も大抵そう思っていることに、しばしば気づきます。
原理講義をしていて、
「なるほど、原理のここはこういうことだったのか」
と悟った気になることがあります。
ところが、しばらくしてお父様のみ言葉を読むと、
「そんなふうに勝手に考えてはいけない。堕落圏では分からないことが多いのだ」
と言っておられるのに出食わすことがあるのです。
「危ないなあ」
と思います。

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