サタンを怖がるな
よっぺちゃんが載せてくださった李耀翰先生の説教「復帰歴史に見る生活原理」にとても興味を惹かれた箇所があります。
文先生が原理を探し出すとき、堕落論はサタンを通じて探し出したというのです。
エデンの園で何が起こったのか、刑事が尋問するように問い詰めていくと、サタンの顔が真っ赤になっていく。
その様子を見て、
「間違いない。これは男女問題だ」
と分かったのです。
分かったその内容を持って、霊界で大論争を展開しました。
最初はイエス様を始めとした聖人たちはもとより、神様までがことごとく
「異端者だ」
と否定。
二度まで完全否定され、三度目に事態が逆転しました。
神様が
「彼の言うことが正しい」
と言われたのです。
この、霊界での戦いについては以前から聞いて知っていました。
しかし、興味を持ったのはその後です。
だから、あなた達もサタンが自分に働いているのを見たなら、すぐ、自分の内容を発見しなくてはいけません。
これはどういう意味でしょうか。
李先生は、水と船の関係で説明されています。
水に浮かぶ船は、水に助けられる立場です。
船に穴が開いていない限り、水は船を浮かばせ、守る存在です。
ところが、船のどこかに穴が開くと、そこから水が侵入し始め、船は沈むようになります。
このとき、水と船とは敵対関係、怨讐関係になるのです。
船が私であり、水がサタンだというのが、李先生の説明です。
私に穴が開いていなければ、サタンは私に侵入しないばかりか、私を守らざるをえない存在である。
ところが、私に穴が開くやいなや、その穴からサタンがさっと侵入してくる。
それはもう、水が侵入してこざるを得ないのと同様に、サタンは侵入せざるを得ないというのです。
だから、侵入してくる水が悪いのではない。
悪いのは穴が空いた船なのです。
船に開いた穴とは何でしょうか。
それが、私の堕落性です。
そこからサタンが入ってくるのです。
堕落性がなければ、サタンは私に決して入ってこない。
むしろ、私を守らざるをえないのがサタンの立場なのです。
だから、サタンを怖がるな、海を怖がるなというのです。
水は船のために必要なのに、その水を怖がって憎めば、どうなるのですか。
私のどこからサタンが入ってくるか。
それを見れば、私のどこにどんな堕落性があるのか、それが分かります。
これはまさに、文先生がサタンの顔色を見て堕落論を探し出したのと同じ立場です。
今まで知らなかった。これはまあサタンよ、ありがとう。自分も知らなかった堕落性をサタンが見つけてくれたと、サタンに対しても感謝しなくてはなりません。

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