7年間、よく働いてくれたね
先日、車を運転して帰ってきた母が、
「どうも、車の調子がおかしい。ガタガタする」
と心配顔で言ったのですが、あまり深く気にも留めないでいたら、その翌日、出かけて間もなくエンジンが止まってしまい、止む無く業者に頼んで修理に出すことになったのです。
「どこかで車の下部をぶつけた拍子にオイルフィルターを破損してしまい、エンジンオイルが漏れてエンジンが焼き付いたようだ」
というのが修理工場の見立てでした。
「母も歳だし、ちょくちょく事故を起こして心配だ。それにしても、よりによって、こんな時期に車の修理とはなあ .... 」
というのが内心の思い。
息子が大学を卒業して、これから引っ越しがある。
何かと入用な時期なのです。
気がかりは、どれくらい保険が降りるか。
自損事故の保険をかけてはいたものの、母の過失もあるので、保険屋も「どうかな?」と言っていたのです。
保険屋が詳しく調べるのに、1週間ほどもかかりました。
結果は、
「これはもう全損ですから、上限の60万が降ります」
とのこと。
「きちんと修理すれば、70万近くかかりますが、どうしますか?」
と言われ、少し考えました。
母は今年86歳になりますが、車を手放すことに強い未練を持っていました。
田舎のこととて、車がなければほとんど動けない。
そうなれば、趣味で長年続けてきた生花もやめるしかない。
ところが、この事故の一件で、母も少し踏ん切りがついたようです。
車を見たところ、全損というほどの破損状態には見えないのですが、そういう見立てですから、60万降りる。
正直、それほど保険が降りるとは思っていませんでした。
「もうすぐ孫が帰ってくる。60万を元手に彼も乗れるようなちょっと大きめの車を探して、お母さんも時々は乗る。大抵は孫に乗せてもらう。そんなふうにしたら?」
と提案すると、母も納得した様子です。
奇妙に思われるかも知れませんが、車にも自我意識があると私は常々思っています。
車だけではありません。
原理でいう「性相的部分」はすべての万物にあるはずです。
「お母さんの事故は、お母さんの不注意のようではあるけれど、車がぶつかろうとしてぶつかったのかも知れない」
そんな思いも浮かんできました。
「このタイミングで壊れてしまったのも、お母さんのことを心配する彼なりの思いがあったのかも知れない」
保険がどうの、時期がどうの、というのは、私の勝手な思いです。
車のほうが私よりも、もっとちゃんと考えている。
「ありがとう。この7年くらい、よく働いてくれたね」
と言って、私の執着を手放すのがよかろうと思うようになりました。
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