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「真理の書」であると同時に「愛の書」

kitasendo
20160301 

最近の真の父母様のお話の中で、他のどんなことよりも私の頭を離れないものがあります。


「愛しています」「感謝します」というこの2つが、最も偉大なみ言葉です。この2つが分かれば、私たちは原理の全体が分かります。


昨年の後半から講義の度にこの言葉を繰り返し紹介し、私自身、この2つのみ言葉について考えない日はないようになりました。

もっとも、最初に聞いた時は、こう思ったのです。

「あまり変哲のない、月並みな言葉だなあ」
「お父様という方は深い真理を膨大な言葉で語る方なのに、お母様はそのみ言葉をもの凄く簡単に要約される方だなあ」

しかし、このみ言葉について講義を繰り返してみると、それが持つただならぬ奥深さを少しづつ垣間見るようになってきたのです。

原理講論を書かれた初代協会長、劉孝元先生が霊界から送ってこられたメッセージの一つ。(人伝てですから、表現は正確でないかも知れません)

「原理講論は歴上最高の『真理の書』だと思っていたが、霊界に来てみると、それは『愛の書』だということが分かった」

この言葉の真意もいまだ測りかねていますが、これもまた私の頭から離れない言葉です。

お母様の言われる偉大な2つのみ言葉。
劉先生の言われる「原理講論は愛の書」。
そして、前の日曜日に視聴した講座「天の父母様と真の父母様」。

これら3つのことが、何となくどこかで繋がるような気がしてきます。

神様の創造理想における完成したエバ(真の母)の立場と価値


お母様のお話を聞いて、先ずこう考えてみました。

「この2つのみ言葉の主語は『私』だとしても、目的語がない。誰を愛しているのか? 誰に(何を)感謝するのか?」

「(全ての人、全てのものを)愛しています」
「(全ての人、全てのものに)感謝します」

このように考えてみると、この2つのみ言葉にはお母様ご自身がこれまで辿ってこられた真の母になるための人生路程が凝縮されてもいるように思えます。
言葉は簡単でも、簡単に言える言葉ではありません。

そして、次にこう考えてみました。

「原理講論を2つのキーワード『愛しています』『感謝します』という言葉で、改めて読み直すと、どうなるだろうか」

お父様の完全なる監修のもとで書かれた原理講論は、文字通り「原理」を明らかにする講論です。
その中に、「愛」という言葉は頻繁に出てくるし、「愛」というものの説明(定義)もありますが、とても「原理的」な感じがします。
また、「感謝」という言葉は出てきません。

しかし、じっくり読めば読むほど、原理講論の原理的な表現の水面下には巨大な「愛」と「感謝」の塊が潜んでいるのではないか。
そんなふうに感じられてくるのです。
それをお母様はあのたった2つのみ言葉で、極めて端的に指摘されたのではないかというように思われてきます。

父は父で原理と愛の道を歩まれ、その足跡を膨大なみ言葉で遺してくださいました。
母も母で同じように原理と愛の道を歩まれましたが、父が遺してくださった膨大なみ言葉をたった2つの言葉にして遺してくださった。

これはどちらも子どもに対する親の愛なのですが、父の愛と母の愛との違いがここにあるような気がします。

母は父の数百巻のみ言葉をわずか3冊の本にまとめ、それを訓読しなさいと言われながら、3冊の本をさらに2つのみ言葉に集約され、
「この2つのみ言葉通りのあなた方になりなさい。そしてそれを、どんなことがあってもあなた方の子々孫々に伝えなさい」
と言われるのです。

「この2つさえちゃんと実体として伝われば、お父様のみ言葉は間違いなく永遠に人類に伝わるのです」

ここに母の愛があると感じます。

父の愛と母の愛とが合わさってこそ、原理講論は「真理の書」であると同時に「愛の書」でもある。
そんなふうにも言えるのではないでしょうか。


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Admin:kitasendo