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元教育部長の講義日記

家庭連合の教育部長を辞しても思索する日々

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「天の父母様」という呼称はどこに由来するのか

20160228 

去る基元節4周年を前にして開かれた「天一国指導者会議」の場で発表された2つの重要な講義。
一つは、アンドリュー・ウィルソン博士の「天の父母様と真の父母様」。
もう一つは、タイラー・ヘンドリックス博士の「真の父母様の権限および責任」。

本日の礼拝ではこの2つを要約解説する講座を視聴しました。
1回聞いてもその趣旨を的確に把握するのは難しいので、その後もう1回見直しました。
それでもまだ十分とは思えませんが、興味を惹かれた点を私なりにまとめてみようと思います。(ここ数年の「天の父母様」論争の中では、私にとって最も腑に落ちる講義でした)


最も重要だと思われるポイントは、
「天の父母様という呼称はどこに由来するのか」
ということです。

キリスト教の2000年、そして統一教会のほとんどの期間、神様の呼称は
「天の父(お父様)」
というものでした。

このことについて、文先生が1951年に著された『原理原本』の中に、
「『天の父』という呼び名しかないというのは、神の創造目的が未完成であることを意味する。人間が『天の父』としか呼ばない姿を見ながら、天の父の心はいかに痛かったか」
という趣旨の一文があります。

その意味で、文先生の生涯の目的は、「天の父母様」に対する真実を明らかにすることであったと言えます。

このような観点から改めて聖書を読み直すと、そこに現れた神は確かに、力を持って現れる全知全能の「天の父」であったことに気づくことが多いのです。

幾つかの例を挙げてみましょう。

エデンの園でエバが堕落した後、神は彼女を呪い、
「お前はこれから産みの苦しみを味わうだろう」
と命じたとあります。

しかしこれは「父の発想」なのです。
母なら、どう考えるでしょうか。

「堕落したエバをどう慰労してやろうか。どうしたら早く復帰してやれるだろうか」
「お腹を痛めて子どもを生むのは大変だ。生んだ子どもをどう育てたら良い子になるか、教えてやりたい」

これが「天のお母様」の発想だというのです。

堕落後の復帰摂理は男性を中心として、常にカインがアベルに屈伏すべき摂理として展開されました。

それでリベカがお腹に双子を宿したとき、天の父は、
「兄は弟に仕える」
と教えたのです。

しかし母なら、そういう教え方をしません。

「双子が生まれるが、その2人が争わないようにするには、このようにしなさい」
と教えたいのです。

そしておそらく、母や娘など女性の力を最大限に活用しようと準備されるでしょう。


このように考えてみると、これまで我々人類は本当に「天のお母様」を知らなかったということに気がつきます。
このことが天の父の心を最も痛め続けてきたのです。

イエス様も天のお母様を教えてくださることができずに逝かれました。
それで原理講論には一つの重要な預言があるというのです。


それゆえに、イエス再臨以後の完成成約時代は、妻の時代、すなわち、雌牛の時代であることを知らなければならない。
(「原理講論」アブラハムの家庭を中心とする復帰摂理)


これまで人類の歴史は、キリスト教を中心として「新婦の時代」までは来ていたのです。
しかし再臨主が来られて「子羊の婚宴」をされれば、そこからいよいよ歴史始まって以来の「妻の時代」が開かれるのです。

これを講義の中では
「新しい文化革命」
と呼んでいました。

何がどのように変わるのでしょうか。
堕落以来失われてきた「本来の男性と女性の関係」が取り戻されるのです。

これから我々は、
「男性とは何者か。女性とは何者か」
ということを改めて深く考え直すべき時代だということです。

「真の母」が確実に立ってこそ、「天のお母様」がその後から現れて来られるのです。
これが実に驚くべきことです。


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文先生の生き様から真の神様を見出せない人は哀れです * by fatherfujioka
>エデンの園でエバが堕落した後、神は彼女を呪い、
「お前はこれから産みの苦しみを味わうだろう」
と命じたとあります。
しかしこれは「父の発想」なのです。

親なる真の神様に対する無知からくる許しがたい偽りの神観です。

 「命には命で、目には目で、歯には歯、手には手、足には足、やけどにはやけど、傷には傷、殴ったことには殴ることで返せという復讐に満ちた律法主義は、創造主神様の性稟であるはずはありません。神様は愛であり、許しの神様です。」
http://furuta65.fc2web.com/001/makotono_kami/007_makotono_kamisama.html

「この世の親も自分の息子、娘が罪を犯して絞首刑に処されることになったとき、その子が死ぬことを願う親はいません。自分の思いどおりに子を助けることができるとすれば、百回でも千回でも助けてやりたいのが父母の心です。母親の気持ちはなおさらのことでしょう。堕落した世界の女性の心もそうであるのに、全知全能なる神様がいったい何ゆえに終わりの日になって審判をしなければならないのでしょうか。どうして神様が許してくださることができないのでしょうか。これです。神様はどれほど愛しておられるでしょうか。イエス様が七十回ずつ七回許すとすれば、神様は七十回ずつ七千回以上許すはずです。神様の心はそうなのです。 」(http://furuta65.fc2web.com/001/makotono_kami/009_makotono_kamisama.html

承認待ちコメント * by -

* by -
お疲れ様です。
記事を拝見いたしました。

>「堕落したエバをどう慰労してやろうか。どうしたら早く復帰してやれるだろうか」「お腹を痛めて子どもを生むのは大変だ。生んだ子どもをどう育てたら良い子になるか、教えてやりたい」これが「天のお母様」の発想だというのです。堕落後の復帰摂理は男性を中心として、常にカインがアベルに屈伏すべき摂理として展開されました。それでリベカがお腹に双子を宿したとき、天の父は「兄は弟に仕える」と教えたのです。しかし母なら、そういう教え方をしません。「双子が生まれるが、その2人が争わないようにするには、このようにしなさい」と教えたいのです。そしておそらく、母や娘など女性の力を最大限に活用しようと準備されるでしょう。

とのことですが、少し、修正した方が良いのではないだろうかと思いまして…。

リベカは、何が、素晴らしかったのでしょうか?
リベカの信仰の勝利とは、何だったのでしょうか?
リベカは、二人の子供を争わないようにしたのでしょうか?
「母なら、そういう教え方をしません。『双子が生まれるが、その2人が争わないようにするには、このようにしなさい』と教えたいのです。」という説明は、ちょっとマズイという印象を持ちました。

リベカは、夫イサクに反逆しました。
リベカは、兄エソウの祝福を奪いました。
リベカは、ヤコブとエソウが争うように仕向けました。
そのリベカ(やタマル等)の勝利によって、イエス様降臨の条件が立ちました。

もし、教育部長さんの言う「天のお母様の発想」がリベカにあったとしたら、メシヤは、この地上に降臨できませんでした。

食口たちを混乱させる可能性があるように感じます。
記事(例え)の修正、削除をご検討いただけないでしょうか?

* by 教育部長
この記事は基本的に講義映像を参考にしています。ただ、私自身にも熟慮が足りず、少し論理が雑だったような気もします。
それにしても「天のお母様」は何を配慮され、どのように発想されるかということは、私たちが原理をより深く適切に理解する上で、とても有効な観点ではないかと思います。これまであまり意識されなかった観点です。原理講論は全体的に「父的な発想」が優位で書かれているような気がします。女性の登場場面もあまりありません。
リベカについても、いろいろな意見が出てくると面白いと思います。私は彼女の信仰の素晴らしさも感じますが、「もう少しこうしたらよかったのではないか」と感じる部分もあります。双子がもっと和睦的な道を行ければ、摂理はよく進んだかも知れません。おそらく母として努力をしたのでしょうが、誰もみななかなか完璧にはいかないものです。

No title * by 一食口
神様の名称が天の父母様になったのは、日本にとってはすごい祝福だと思います。
日本は、天照大神を奉ずる女性国家だから。

天の父母様について * by ヤン
>「『天の父』という呼び名しかないというのは、神の創造目的が未完成であることを意味する。
>「天のお母様」の発想という
>イエス再臨以後の完成成約時代は、妻の時代、すなわち、雌牛の時代であることを知らなければならない。

勉強になりました。ありがとうございます。

一つ質問があります。
以上のことはお母様が第二教主として立ったから「天の父母様」と呼べる時代になったということでしょうか?

コメント






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文先生の生き様から真の神様を見出せない人は哀れです

>エデンの園でエバが堕落した後、神は彼女を呪い、
「お前はこれから産みの苦しみを味わうだろう」
と命じたとあります。
しかしこれは「父の発想」なのです。

親なる真の神様に対する無知からくる許しがたい偽りの神観です。

 「命には命で、目には目で、歯には歯、手には手、足には足、やけどにはやけど、傷には傷、殴ったことには殴ることで返せという復讐に満ちた律法主義は、創造主神様の性稟であるはずはありません。神様は愛であり、許しの神様です。」
http://furuta65.fc2web.com/001/makotono_kami/007_makotono_kamisama.html

「この世の親も自分の息子、娘が罪を犯して絞首刑に処されることになったとき、その子が死ぬことを願う親はいません。自分の思いどおりに子を助けることができるとすれば、百回でも千回でも助けてやりたいのが父母の心です。母親の気持ちはなおさらのことでしょう。堕落した世界の女性の心もそうであるのに、全知全能なる神様がいったい何ゆえに終わりの日になって審判をしなければならないのでしょうか。どうして神様が許してくださることができないのでしょうか。これです。神様はどれほど愛しておられるでしょうか。イエス様が七十回ずつ七回許すとすれば、神様は七十回ずつ七千回以上許すはずです。神様の心はそうなのです。 」(http://furuta65.fc2web.com/001/makotono_kami/009_makotono_kamisama.html
2016-03-01 * fatherfujioka [ 編集 ]

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです
2016-03-01 * - [ 編集 ]

お疲れ様です。
記事を拝見いたしました。

>「堕落したエバをどう慰労してやろうか。どうしたら早く復帰してやれるだろうか」「お腹を痛めて子どもを生むのは大変だ。生んだ子どもをどう育てたら良い子になるか、教えてやりたい」これが「天のお母様」の発想だというのです。堕落後の復帰摂理は男性を中心として、常にカインがアベルに屈伏すべき摂理として展開されました。それでリベカがお腹に双子を宿したとき、天の父は「兄は弟に仕える」と教えたのです。しかし母なら、そういう教え方をしません。「双子が生まれるが、その2人が争わないようにするには、このようにしなさい」と教えたいのです。そしておそらく、母や娘など女性の力を最大限に活用しようと準備されるでしょう。

とのことですが、少し、修正した方が良いのではないだろうかと思いまして…。

リベカは、何が、素晴らしかったのでしょうか?
リベカの信仰の勝利とは、何だったのでしょうか?
リベカは、二人の子供を争わないようにしたのでしょうか?
「母なら、そういう教え方をしません。『双子が生まれるが、その2人が争わないようにするには、このようにしなさい』と教えたいのです。」という説明は、ちょっとマズイという印象を持ちました。

リベカは、夫イサクに反逆しました。
リベカは、兄エソウの祝福を奪いました。
リベカは、ヤコブとエソウが争うように仕向けました。
そのリベカ(やタマル等)の勝利によって、イエス様降臨の条件が立ちました。

もし、教育部長さんの言う「天のお母様の発想」がリベカにあったとしたら、メシヤは、この地上に降臨できませんでした。

食口たちを混乱させる可能性があるように感じます。
記事(例え)の修正、削除をご検討いただけないでしょうか?
2016-03-04 * - [ 編集 ]

この記事は基本的に講義映像を参考にしています。ただ、私自身にも熟慮が足りず、少し論理が雑だったような気もします。
それにしても「天のお母様」は何を配慮され、どのように発想されるかということは、私たちが原理をより深く適切に理解する上で、とても有効な観点ではないかと思います。これまであまり意識されなかった観点です。原理講論は全体的に「父的な発想」が優位で書かれているような気がします。女性の登場場面もあまりありません。
リベカについても、いろいろな意見が出てくると面白いと思います。私は彼女の信仰の素晴らしさも感じますが、「もう少しこうしたらよかったのではないか」と感じる部分もあります。双子がもっと和睦的な道を行ければ、摂理はよく進んだかも知れません。おそらく母として努力をしたのでしょうが、誰もみななかなか完璧にはいかないものです。
2016-03-05 * 教育部長 [ 編集 ]

No title

神様の名称が天の父母様になったのは、日本にとってはすごい祝福だと思います。
日本は、天照大神を奉ずる女性国家だから。
2016-03-06 * 一食口 [ 編集 ]

天の父母様について

>「『天の父』という呼び名しかないというのは、神の創造目的が未完成であることを意味する。
>「天のお母様」の発想という
>イエス再臨以後の完成成約時代は、妻の時代、すなわち、雌牛の時代であることを知らなければならない。

勉強になりました。ありがとうございます。

一つ質問があります。
以上のことはお母様が第二教主として立ったから「天の父母様」と呼べる時代になったということでしょうか?
2016-03-28 * ヤン [ 編集 ]