ハムのDNA情報
ハムが父親ノアの裸に遭遇した時、神様には神様なりの明確な願いがあったのです。
ここで神はノアが裸でいても、その家族たちがそれを見て恥ずかしがらず、また隠れようともしない姿を眺めることによって、かつて彼ら(アダムとエバ)が罪を犯す前に、どこを覆い隠すでもなく、ありのままの裸体を現していた、汚れのない人間の姿をご覧になって、喜びを満喫されたその心情を蕩減復帰しようとされたのである。
(原理講論 後編「復帰基台摂理時代」)
ところが実際には、ハムは父親の裸を恥ずかしく思って、父親に着物をかけて覆ったのです。
それを見て、サタンはこう考えました。
「ハムは、私と血縁関係を結んだ恥ずかしい自分であることを自証する立場に立ったな。神様、ハムは明らかに私の側です」
神様は、
「40日の洪水審判が終わった後のノアは、天地創造直後のアダムと同じ立場に戻った」
と考えられました。
原理的にもそうであるし、心情的にも神様はそう思っておられたのでしょう。
それに対してサタンは、こう考えたのです。
「120年もかけて山の上に箱舟を作った信仰は大したものだが、ノアの内面が根本的に変わったとは思えない」
これほどに、神様とサタンの観点は対照的なのです。
そこで、ハムが実験台に上がりました。
そして見事に、サタンに軍配を上げたのです。
この事実に、私たちは何を見るのでしょうか。
「私たちの感性、思考、感情は、それほどまでに神様のそれとかけ離れている」
ということです。
ハムはなぜ、サタンの思惑通りに感じ、行動したのでしょうか。
彼は彼の何十代(もしかして何百代)の先祖たちが感じてきたように感じ、考えてきたように考えたのです。
神様はアダムとエバが堕落する前に、あまりにも美しい裸体をありのままに現して暮らしていた時の喜びを体験しておられます。
それが、神様が回帰したい原点です。
しかし、堕落の人類にはそのような体験もなく、裸体を神様のように感じる感性を誰も持ち合わせてはきませんでした。
そのような先祖の感性を、ハムはそっくりそのまま受け継いでいたのです。
あの時ハムが神様の感性に共鳴することは不可能に近いほど難しかったでしょう。
それでもなお、ハムにはサタンの罠に陥らない術があったのでしょうか。
「なぜ今、私は父の裸を発見する立場に立ったのか?」
と理性的に考えて、神様の願いを突き止める可能性があったでしょうか。
その可能性はほぼゼロに近かったろうと思います。
こういう場合、理性はまったく無力です。
なぜなら、理性はそれまでの自分の体験や、理論的な推論で物事を考えるに過ぎないからです。
そこにはいくらでも堕落性が入り込みます。
そして、感情や情念の前に、理性はあまりにも非力です。
ハムがあの時成功するためには、先祖から受け継いだ堕落性のDNA情報を消去する以外にはなかったように思えます。
それは祈りによって可能でしょうか。
何らかの神体験によって可能でしょうか。
あるいはそれ以外に、何か良い方法があるでしょうか。
これは、こんにちの私たちにもそっくりそのまま当てはまる課題です。
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