信仰生活講座の初めに、よくこの聖句を引用します。
2羽のすずめは1アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その1羽も地に落ちることはない。
また、あなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。
それだから、恐れることはない。あなた方は多くのすずめよりも、まさった者である。
(マタイによる福音書10:29-31)
飛んでいるすずめが1羽、目の前で落ちることでさえ、神様が関わっておられる。
さらに、私の髪の毛が何本あるのかさえ、神様は正確に知っておられる。
「これは本当の話でしょうか?」
と問うと、大抵の受講者は首を傾げます。
すずめが目の前で突然落ちるのは偶然のことであって、そんなことにまで神様がいちいち関与されるとは到底思えない。
そんなことを言ったら、交差点で信号機が青から急に赤に変わることでも、偶然ではないことになるでしょう。
しかし、イエス様の言葉はこれに留まりません。
神様は私たち一人一人の髪の毛の数まで知っておられるというのです。
ここでもまた、受講者たちから
「信じられない!」
という声が一斉に上がります。
そうは言っても、これはイエス様の言葉です。
イエス様はいい加減な、嘘を言っておられるのでしょうか。
それとも、やっぱりこれは本当のことで、神様はここまで私たちの生活に深く細やかに関わっておられるのでしょうか。
そこで、もう少し突っ込んで受講者に尋ねてみます。
「神様は全知全能だと言いますから、私たちにはない計数装置を使って私たちの髪の毛の数を正確に把握しておられるとしましょう。ところで、なぜ神様はそこまで私たちの髪の毛の数に関心を持っておられるのでしょうか。皆さんは隣の方の髪の毛の数に関心がありますか」
自分よりも多いか少ないかくらいは関心があっても、その正確な数まで知ろうとは思わないでしょう。
するとある方から、
「それは神様が私たちの父母だからでしょうか?」
という声が上がります。
「なるほど、そうかも知れませんね。父母だからこそ、子女の状態を細部まで知りたいと思われる。もしそうだとすれば、神様が私たちについて知っておられるのは、髪の毛の数だけではないでしょうね」
私の体の頭の天辺から足の爪先まで、私以上に神様は熟知しておられる。
体だけではありません。
心の中で今何を思っているか、何が好きで何が嫌いか、私の堕落性も本性も、私以上に知っておられる。
もし、そういう神様が、日常生活で私が遭遇するすべてのことに関わっておられるとすれば、その動機は悪意ではなく、善意であるはずでしょう。
なぜなら、父母であるからです。
すると、私が人生の中で体験するあらゆること、嬉しいことも嬉しくないことも、そのすべては神様が「善意」で出会わせてくださったということになりはしないでしょうか。
父母である神様がその「善意」から、私に嬉しいことを与えてくださるというのは分かります。
しかし、嬉しくないことまでも神様が与えられるとすれば、それはどう考えたらいいのでしょうか。
これは、復活論の「悪霊人の再臨復活現象」とも絡む、少し複雑な問題です。
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