苦痛そのものは蕩減条件にならない
神の復帰摂理とは、別名、復活摂理でもありますから、復活がなされることによって復帰摂理は進んでいくということになります。
誰が復活するのでしょうか。
霊的に死んだ人たちです。
霊的に死んだ人には2種類があって、一つは地上人、もう一つが悪霊人です。
地上人は、肉身は生きているが霊的に死んだ人。
悪霊人は、肉身も死んでおり、霊的にも死んだ人です。
神の復帰摂理は、この双方の死人たちを復活させなければなりません。
そこで神様はどういう方法を取られるかというと、悪霊人をして地上人に苦痛を与えさせるというのです。
このことについては、先日来、何度も記事に書いてきました。
ところがここで一つ、見過ごしてはいけない重要な問題があります。
「地上人が悪霊人の与える苦痛を甘受すれば、これを蕩減条件として地上人も復活し、同時に苦痛を与えた悪霊人も復活する」
と原理講論にあります。
ここを注意深く読むと、
「地上人が苦痛を受けることによって蕩減条件が立つのではなく、その苦痛を甘受した時に蕩減条件が立つ」
ということが分かります。
ここを勘違いすると、思った通りに復活できない可能性があります。
「私の人生は苦痛、苦労の連続だった。信仰の道でも相当に苦労した」
と言ったとしても、その苦痛に応じた蕩減条件が立っているとは限らないのです。
努力したのに、報われなかった。
良かれと思ってやってあげたのに、反対に誤解された。
こういう苦痛は誰にでも大なり小なりあり得るでしょうが、この苦痛そのものが蕩減条件になるのではない。
苦痛は外からでも分かりますが、それを甘受したかどうかは目に見えません。
蕩減条件とは、非常に内面的な問題だということになります。
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