復活の生活を求める(講義音声)
過去半年ほど、隣の教会に週1回通いながら講義をさせていただいています。
大抵は家庭集会での講話か、教育段階の方への原理講義です。
少し前にそこの教会長と話した時、話の流れでつい口が滑って、
「本当は、教育の講義だけでなく、信仰歴も長く、実践もしておられる方を相手にした講義をしたいという気持ちもあるんです。その人たちと本音のやり取りがしたい」
と言ってしまいました。
言った後で後悔し、なるべく自然な流れがいいなと思っていたら、次の講義には婦人代表をはじめ、中堅メンバーが5人ほど揃って参加されたので、やや緊張が走りました。
その時に講義したのが、下に紹介する「復活論」です。
緊張はあったものの、始まってみれば講義のやり方はこれまで通り、質疑応答の自由な雰囲気。
臆せず答えるのは、これまで慣れ親しんだ教育生です。
中堅メンバーは後ろに座って、比較的静か。
このやり取りをじっと観察しているようでもありました。
一応「復活論」を講義しようという心積もりはあったのですが、実はきっちりした準備はなかったのです。
こういう時は不安がある反面、恵みが大きいことも体験しています。
この日も、自分ながら思いがけない発見が幾つもありました。
準備していた大まかなポイントは2つです。
① 二通りの生と死
② どうしたら復活の生活になるか
実際には1時間半ほどだった講義を1時間弱に編集しています。
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