良心は自分以外の誰のためにも働かない
『ホ・オポノポノライフ』(カマイリ・ラファエロヴィッチ著)を読んでいると、
そして、そのウニヒピリは自分以外の誰のためにも働きはしないのです。
という一節に出会いました。
ホ・オポノポノというのは、古くからハワイに伝わる問題解決手法。
ウニヒピリというのは、その中で重要な役割を担う要素で、一般的な心理学用語で言い換えれば「潜在意識」に近いものです。
私自身はこのウニヒピリを「良心」と重なる性格を持っていると感じているので、冒頭の一節に出会った時、
「良心も同じだろう」
と思ったのです。
「良心は自分以外の誰のためにも働かない。良心が関心をもつのは、ただ『私』だけだ」
そんなふうに思えるのです。
文先生は良心について教えて、
「良心は神様が人間各自に与えられた『第2の神様』である」
と言われました。
そうすると、例えば私とAさんが何らかの関係を結ぶ。
その時、私にとってAさんの考え方、立ち居振る舞いがどうにも気になって、良い関係を結べないので、何とかしないといけないと考えます。
その解決方法を模索すると、「私」は、
「Aさんが考え方、行動の方法を変えてくれればいい。私がアドバイスをしてあげよう」
と考える癖があります。
ところが、「良心」は「私」以外の誰にも関心がないので、
「AさんにはAさんの第2の神様が責任をもっている。今の関係を改善するためには、Aさんが問題なのではない。あなたはあなたの第2の神様に聞きなさい」
と「私」に迫るのです。
つまり、
「どんな問題であれ、それを解決しようとするなら、環境や相手が変わることを願うのではなく、先ず自分自身が変われ」
ということがよく言われるのですが、それはまさに「良心」の主張だということなのです。
ウニヒピリの性質は、上記以外に、
- 傷つきやすい
- 愛してあげると、良くコミュニケーションできる
というものもあります。
この2つも「良心」に通じるように思います。
「私達は普段、良心の声を相当無視して生活しているので、良心は想像以上に傷ついている。良心の声にもっと細やかに耳を傾けなくてはいけない」
というのが、文先生の指導です。
こういう指導を聞いて、私はこれまで、
「『こうしなさい、ああしてはいけない』という良心の声に従うことが必要だ」
とも考えてきました。
しかし、良心の声はそういうものだけではないと思うようになってきたのです。
普通に生活していても、私たちの心には1日に数万の思いと感情が生まれては消えていくと言われています。
その思いを私たちは実に何気なく、その思いのままに任せ、心を委ねているのではないでしょうか。
このような思いは一体どこから、どんな機序で生まれてくるのか、よく分かりません。
それでも、これらすべてが良心の声だと考えたらどうでしょう。
こういう出来事に触れたら、こう思う。
こういう言葉を聞いたら、こう感じる。
「これらすべての思いと感情が堕落性に汚染されたものなら、本然のものに還元していくのがあなたの責任なのだよ」
これも良心の声だと考えていいのではないでしょうか。
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