fc2ブログ
まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

介護はやっぱり大変だ

2016/01/10
生活日記 3
20160110-1 

私は介護ができてとても嬉しい
という記事を書いたところ、普段よりも多めのコメントをいただきました。

「介護もしたことがない人が『嬉しい』などと書くとは無神経すぎる」
と諭してくださった方もいます。

私も簡単に「嬉しい」と思えると思っているわけではないものの、実際の会話を端折って書くと確かに「偉そう」に見えるなと教えられました。

その後で届いた別のコメント。

「教育部長さんは介護経験があるんじゃないですか。親ではないけど、奥さんを看取るまで何年間も世話されたんじゃないですか」
と指摘していただき、我が事なのに、
「そう言えばそうだな」
と思った次第です。

妻の介護を意識しなかったのは、おそらく、肉体を酷使するような介護はあまりなかったからだろうと思います。
妻は最期を迎えるぎりぎりまで自分で動いてくれていたのです。

しかし、そういう介護はなかったものの、
「幾つもの治療方法を探して一生懸命に取り組んでいたなあ」
と、妻との最後の3年間を久しぶりに思い出す機会になりました。

その他のコメントでは、
「あの婦人の4人のお子さんは、どうして全然手伝ってあげないのだろう?」
という疑問を呈したものもありました。

このことについては、実際、茶話会の場でいろいろ現実的な意見も出たのです。
そのとき、婦人の話を聞きながら、私として一つ感じたことがあります。

その方は自分でも言うように、人に頼むことが苦手なのです。
人に頼めば、その人と仕事をどう分担するか、どう協力するか、その段取りを考える必要があります。
そこが苦手なので、ついつい自分でできることは精一杯まで自分で抱えてしまうのです。

ある方が、
「一人で抱えるのは大変なんだから、これとこれをやってくれない? って周りの人に頼んだらいいのよ」
とアドバイスするのですが、
「そうは思うけど、なぜか言えないのよね」
と答えるばかり。

本人もはっきりとは自覚していないのですが、
「私が自分でやるから、誰も手伝わなくていいよ」
という無言のメッセージを周辺に発しているのではないかという気がするのです。

表層意識では
「手伝ってもらったら助かる」
と思っているのに、深層意識では、
「手伝ってもらわないほうがいい」
と思っている。

だから、周囲の人たちも何だか手伝いにくさを感じる。

現実的な対応も工夫しながら、この潜在意識を変える工夫も必要ではないか。
そんなふうに感じました。

現実的対応に関して私はあまり有能ではありませんが、内面的対応に関してはある程度力になれるのではないか。
そんな気がして書いたのが、あの記事(「
私は介護ができてとても嬉しい」)だったのです。


よろしければ1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合(統一教会)へ
にほんブログ村
関連記事
スポンサーサイト



Comments 3

There are no comments yet.

エ・アロール

やっぱり…でも

やっぱり甘えられないタイプだったんですね。
それで、感じるのは、カインアベル事件
カインもアベルも一生懸命にお供え物を捧げたのに、神様は、アベルのだけかえりみられた。
原理的にアダムの蕩減復帰の為、神様は直接カインには、出来ず、アベルを通して…それが出来ず、カインは、血気怒気で、神様の忠告無視して弟のアベルを殺した
カインは、神様に『私のは?どうしてなんですか!!』尋ねたら、『答えられた』を学びました。
この兄のカインが弟のアベルに『どうしたらいい?』と謙虚になって、供え物をするという目的達成する~は、全人類が越えないといけない課題なのだから、
その方も、甘えられないとか、言ってないで、こうだからお願いします…と是非頑張って欲しいです!
そうしたら、その方の体が楽だし、子供達に『ありがとう。頼もしいねっ』て、言える母としての喜びと共に、子供達も役に立つ喜びとなるのでは?

2016/01/11 (Mon) 06:17

教育部長

Re: やっぱり…でも

「甘えられないタイプ」と言ってもいいけど、自分で段取りするのが苦手なので、そういう状況を自分から避けたいという無意識の働きがあるような気がします。
甘い言い方かもしれませんが、今の介護はそういう自分が変化し、子どもたちとの関係も変えていける機会でもある。
そんなふうにも考えます。

2016/01/11 (Mon) 09:22

さっちゃん

いかに楽しむか、喜ぶか、感謝するかは人それぞれです。必ず、あると信じて個性的に創造し探し出す事を望まれている私達だと思っています。

2016/01/11 (Mon) 12:13