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元教育部長の講義日記

家庭連合の教育部長を辞しても思索する日々

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神様の自叙伝は容易に読み解けない

20151225 

今日「モーセ路程」の講義をしてみたのですが、結果は散々でした。

「講義は、つくづく難しい」

今更ながら、講義することが怖いと感じました。

教義書のような体裁を取る文面に隠れて見えない神様の「気持ち」が、私にはあまりにも分かっていない。
これほど分かっていないことを、これまでよくも講義してきたものだと、自分の大胆さに呆れるというより、肝を冷やしたのです。

モーセの生涯は聖書にもかなり詳細に記述されているので、それをうまくまとめて物語風に講義しようと思えば、さほど難しいことではありません。
しかし、人が本当に知りたいのは物語そのものではないでしょう。
神様が伝えたいのも、単なる歴史的、摂理的な事実ではないでしょう。

一人の摂理的な人物の生涯に隠れた、創造主、父母なる神様の「思い」。

例えば、モーセ路程の冒頭部分にこのような一節があります。


ところが、神にも屈伏しなかったサタンが、人間祖先として来られるイエスと、その信徒たちに屈伏する理由はさらにないのである。


なぜサタンが創造主である神様にさえ屈伏しなかったのか。
それを説明することさえ容易ではないのに、そのような困難を抱えたまま数千年あるいは数万年の長きにわたって摂理してこられた神様の内心を推し量ることはさらに難しいのです。

こんな状態では、イエス様を送る時に、一体どうなるのか。
どのように準備したら、一人息子の行くべき道を少しでも守ってやることができるのか。

このような心配を限りなくなされ、将来の困難を克服するために細心の注意を払ってヤコブを導き、モーセを導いた神様の苦痛。
その一点でも深く捉えることができれば、モーセ路程の講義は文字通り神様の自叙伝の重要な一章となるでしょう。

しかし、今日の講義はそれがうまくできなかったのです。
神様の自叙伝は容易なことでは読み解けません。


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