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元教育部長の講義日記

家庭連合の教育部長を辞しても思索する日々

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2つのみ言葉への2つの疑問

20151223 

アダムとエバは、大きく2つのみ言葉を神様からいただいていたと言えます。

一つは、三大祝福のみ言葉。

そしてもう一つは、
「善悪の実を取って食べてはならない」
という戒めのみ言葉。

三大祝福のみ言葉は、希望のみ言葉であり、2人が向かうべきゴールを示すみ言葉でもあります。
そして2つ目のみ言葉は、そのゴールへ到達するためのみ言葉です。

最初のみ言葉があって、2つ目のみ言葉がなければ、2人はどのようにしてゴールに到達できるのか、その道筋が分かりません。
また逆に、最初のみ言葉がなく、2つ目のみ言葉だけがあるとすれば、それはただ単に禁欲を強要しているだけであって、その果てにどんな希望があるのかを示すことができません。

2つのみ言葉は、必ずセットで与えられなければならないものです。

この2つのみ言葉に関して、2つの疑問があります。

先ず第一は、2人はこの2つのみ言葉をどのように聞いていたのかということです。
聖書を読むと、2人は神様と一問一答をしていたように見えますが、彼らには神様の声が明瞭に聞こえていたのでしょうか。

神の声が人の耳に聞こえるものなのか、あるいは何か直接胸の真ん中に響いてくるものなのか。
問題は、そのどちらがより正しいのかということではありません。

三大祝福のみ言葉は、神の声を聞かなくてもいいように思います。
2人がじっと自分の内面を見つめて自分の欲望をきちんと見れば、3つの欲望があることに気づくでしょう。

「神様のようになりたい」
「愛を体験したい」
「万物をすべて治めてみたい」

3つの祝福は初めから2人の内に、それを願う欲望として神様が植えつけておいたのです。

もう一つの疑問は、ノア家庭です。

洪水が終わった後、神は彼らに向かって、
「私はもう二度とこんなことはしない」
と約束され、昔のようにまた3つの祝福を与えられたと聖書にあります。

1つ目のみ言葉を再び与えられたのなら、それとセットになっている2つ目のみ言葉も当然与えられて然るべきではないか。
そう思いますが、聖書にはその記述はないのです。

ただ、ヒントはあるような気がします。

洪水が終わった後、ノアはぶどう酒で酔っ払い、裸で寝ていたことがあります。
その摂理において、神様はかつてエデンの園で喜びを満喫していたアダムとエバの純潔無垢な姿を重ね合わせ、同じ喜びを感じたいと願っておられたというのが、原理講論の解釈です。

しかしこの摂理を次男ハムが挫折させてしまいます。

いずれにせよ、2つ目のみ言葉は歴史の中に明瞭な形では二度と現れることなく、この問題に対する人間の本心は、歴史の中で限りなく曇らされてきたように思えるのです。


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2015-12-24 * - [ 編集 ]