おばあちゃんには敵わない
「おばあちゃんには敵わないなあ」
と、思うことがしばしばあります。
おばあちゃんとは言っても、私の母のことです。
今年85歳。
だいぶ歳をとってきました。
もうかれこれ1年半あまり、ほぼ毎晩2人で書写行を続けています。
書写を1枚書くと、その後、み言葉を訓読します。
今は、あの大冊『天聖経』です。
読み終えると、いろいろ話し合います。
「良い言葉だねえ」
と母が言うと、
「こんなに良い言葉は、どこに行っても聞けないね。お母さん、この歳になってこんなに良い言葉を学べるとは、本当に幸せだねえ」
と私が答えます。
「そうだねえ。でもね、読んでも読んでも、すぐ忘れるんだよ」
とワンパターンの口癖が母の口から出てきます。
この母、私が教会に入って以来、25年余りにわたって一貫して反対してきたのです。
文先生の名前を聞くだけでも嫌な顔をしていました。
それがどうして、こんなに変わったのだろう。
歳のせいかも知れません。
これまで自分が一体誰に反対してきたのか、それさえも忘れたかのようです。
あるいは、霊界の父が助けてくれているのかも知れません。
いずれにせよ、有り難いことなのですが、私が母に敵わないと思うのは他のことです。
書写と訓読が終わった後、少なく見積もっても2日に1回は同じことを必ず言うのです。
「私はこの◯◯の家に嫁に来て、本当に良かった。嫁に来て以来、何十年の間、一度も諍いがなかったし、嫌な思いをしたことがなかったよ。お父ちゃんも一度だって大声を上げて怒ったことがない。本当に良い人だったね」
こう言って、
「有り難い。感謝だ」
と繰り返すのです。
いくら訓読をしたと言っても、み言葉をそんなに理解したわけではないのです。
しかし、胸の内から自然に湧いてくる感謝の心は、私を遙かに凌ぐのです。
み言葉なんかいくら読んでも、読む端から忘れてしまう母。
それでも、感謝と愛の心はしっかりとある。
「こんな母は、霊界に行ったら一直線に愛する父のもとに行くだろうな」
と信じて疑わないのです。
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