ハムはなぜ父の裸に遭遇したのか(講義音声)
前回の記事「原理講論の愛と感謝」でアップした信仰講座の後半です。
ノアの家庭、その中でもノアの次男ハムが遭遇した事件を中心に考えてみました。
ご存知のように、大洪水が終わった後、元のような平穏な生活を取り戻したかに見えた頃、ノアがぶどう酒に酔っ払い、天幕の中で裸で眠っていたところをハムが発見します。
その時の彼の思いと行動がサタンの讒訴される条件となり、ノアの家庭全体が失敗した家庭となって摂理の流れに消えていきます。
ハムはなぜ、父親の裸を見つける事態に遭遇したのか。
その時、彼はどう思い、どう行動すべきだったのか。
そういう点を、私たちの信仰生活の問題として考えてみます。
原理講論の中に
「サタン分立」
という言葉がありますが、それは結局どういう意味なのか。
そういうことが分かってきます。
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