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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

2つのみ言葉はどう伝えたらいいのか

2015/12/05
信仰で生きる 1
20151205 

先日の信仰講座で、真のお母様のみ言葉を紹介しました。

我々が次世代にまで伝えるべき偉大な2つのみ言葉がある。
それが「愛しています」「感謝します」の2つである。
この2つが分かれば、原理のすべてが分かる。

このように語られました。

さてそれなら、この2つのみ言葉を、我々はどのように次世代に伝えたらいいのか。
あるいは、どのようにしたら、よく伝えることができるのか。

このことが気にかかります。

我々は、例えば、街頭で声をかけられ、伝道されてみ言葉を学び始めました。

み言葉を信じるようになると、
「この道が真実だ。この道しかない」
と思うようになります。

結婚して子どもが生まれると、幼いうちは手を引いて教会へ連れて行きます。
親と一緒にいることが嬉しく、子どもは喜んでついて来ます。

親の信仰を受け継がせようとして、難解で膨大なみ言葉を噛み砕いて教えたりしますが、内容をそんなに理解しているとは思えません。
中高生になれば、もっと深く理解できるようにはなるものの、反対に、教会を嫌い始めたりもします。

自分の子ども(次世代)にみ言葉を伝えることが決して易しいことではないのを、痛いほど経験します。

どうしたら、次世代にうまくみ言葉を伝えることができるのでしょうか。

お母様が言われたみ言葉は、言葉としては実に平易で平凡なみ言葉です。
ここには、「神の二性性相」だとか「予定論」「キリスト論」あるいは「信仰基台」「実体基台」などという難しそうな用語は何一つありません。

私たちが「み言葉を伝える」と言うと、
「教会の礼拝に行かせないと」
「修練会に参加させよう」
というアイデアがまず頭に浮かびます。

しかし、あの平易な2つのみ言葉を伝えるには、特段、修練会に参加させるまでもないでしょう。

お母様が
「2つのみ言葉を伝えよ」
と言われた意味は、
「その言葉を教えよ」
ということではない。

むしろ、
その2つのみ言葉のごとくに生きよ
ということでしょう。

父母が「愛する生き方」「感謝する生き方」を生きていけば、2つのみ言葉は語らずとも伝わるのが道理です。
それが最も良い、理想的な伝え方でしょう。

逆に考えれば、私たちが子どもたちをいくら修練会に強制的に出したとしても、父母として2つのみ言葉を生きていなければ、結局、子どもたちに2つのみ言葉は伝わらない。

振り返ってみると、2千年前にも似たようなことがあったことに気がつきます。


そして彼らの中のひとりの律法学者が、イエスをためそうとして質問した、
「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」
イエスは言われた、
「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 これがいちばん大切な、第一のいましめである。 第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。 これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」
(マタイによる福音書22:35-40)


イエス様はこの偉大な2つのみ言葉をどのようにして我々に伝えようとされたのか。
自らがそのように生きる以外、真実に伝える術はなかったのです。


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Comments 1

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りんご

初めまして
2つのみことば、ということで、ふと思い出したことがあります
史吉子先生の原理に関するみ言の証の本の中に
劉協会長が、霊界へ行った後、霊通する人を通して現れると
「原理が真理であるとだけわかっていたが、
実は原理は愛だ。私はこれを悟った」と告白しました
というものです

私には、神様の愛の世界はまだまだよく分かりませんが
原理講義の記事をますます楽しみにしています

2015/12/10 (Thu) 00:28