2つのみ言葉はどう伝えたらいいのか
先日の信仰講座で、真のお母様のみ言葉を紹介しました。
我々が次世代にまで伝えるべき偉大な2つのみ言葉がある。
それが「愛しています」「感謝します」の2つである。
この2つが分かれば、原理のすべてが分かる。
このように語られました。
さてそれなら、この2つのみ言葉を、我々はどのように次世代に伝えたらいいのか。
あるいは、どのようにしたら、よく伝えることができるのか。
このことが気にかかります。
我々は、例えば、街頭で声をかけられ、伝道されてみ言葉を学び始めました。
み言葉を信じるようになると、
「この道が真実だ。この道しかない」
と思うようになります。
結婚して子どもが生まれると、幼いうちは手を引いて教会へ連れて行きます。
親と一緒にいることが嬉しく、子どもは喜んでついて来ます。
親の信仰を受け継がせようとして、難解で膨大なみ言葉を噛み砕いて教えたりしますが、内容をそんなに理解しているとは思えません。
中高生になれば、もっと深く理解できるようにはなるものの、反対に、教会を嫌い始めたりもします。
自分の子ども(次世代)にみ言葉を伝えることが決して易しいことではないのを、痛いほど経験します。
どうしたら、次世代にうまくみ言葉を伝えることができるのでしょうか。
お母様が言われたみ言葉は、言葉としては実に平易で平凡なみ言葉です。
ここには、「神の二性性相」だとか「予定論」「キリスト論」あるいは「信仰基台」「実体基台」などという難しそうな用語は何一つありません。
私たちが「み言葉を伝える」と言うと、
「教会の礼拝に行かせないと」
「修練会に参加させよう」
というアイデアがまず頭に浮かびます。
しかし、あの平易な2つのみ言葉を伝えるには、特段、修練会に参加させるまでもないでしょう。
お母様が
「2つのみ言葉を伝えよ」
と言われた意味は、
「その言葉を教えよ」
ということではない。
むしろ、
「その2つのみ言葉のごとくに生きよ」
ということでしょう。
父母が「愛する生き方」「感謝する生き方」を生きていけば、2つのみ言葉は語らずとも伝わるのが道理です。
それが最も良い、理想的な伝え方でしょう。
逆に考えれば、私たちが子どもたちをいくら修練会に強制的に出したとしても、父母として2つのみ言葉を生きていなければ、結局、子どもたちに2つのみ言葉は伝わらない。
振り返ってみると、2千年前にも似たようなことがあったことに気がつきます。
そして彼らの中のひとりの律法学者が、イエスをためそうとして質問した、
「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」
イエスは言われた、
「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 これがいちばん大切な、第一のいましめである。 第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。 これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」
(マタイによる福音書22:35-40)
イエス様はこの偉大な2つのみ言葉をどのようにして我々に伝えようとされたのか。
自らがそのように生きる以外、真実に伝える術はなかったのです。
よろしければ1クリック!

にほんブログ村
【おすすめ記事】
- 関連記事
-
-
継続という名前の席 2014/06/06
-
聞き手としての自分の限界に気づく 2011/02/13
-
神様から詰問される前に 2012/11/02
-
薬は苦いが、早く飲みなさい 2018/10/25
-
スポンサーサイト