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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

それを感じる人がやるべきだ

2015/11/19
原理を学ぶ 0
20151119

もう一つ考えてみたいことは、世の中に起こる様々な悩み、不幸を見て、先生はその人たちの責任と見ないで、全部ご自身の責任として見るということです。これを私がしなければいけないと感じ取られるのです。
私の記憶では、先生が4回目の世界一周旅行をされ、ヨーロッパを中心として回られた時に、世界はもう滅びる段階にまで傾いていると直感されました。そこでこういう世界をどうしたらいいのか、と大変心配されたのでした。
その時、神は「それを感じる人がやるべきだ」と先生に教えたそうです。

(「主と歩んだ教会創立以前の道」金元弼)


本日参加した3回目の親セミナーの中で紹介された一節です。

金元弼(キム・ウォンピル)先生とは、1940年代、北朝鮮で文先生に伝道されて以来、親を慕う子どものように一貫した心で従ってきて、第一弟子となられた方です。
金先生が証しされた冒頭の一節の中に原理の核心があるとしたら、どうでしょう。

その核心とは、
それを感じる人がやるべきだ
という神様の教えです。

おそらくこれは神様が文先生に教えたのではなく、文先生ご自身の本心が否応なく自覚されたことではないかと、証の前半を見れば感じられます。

文先生のそのような心から出てきた言葉が「み言」です。
実体からみ言が出てくる。
それで、文先生を「実体み言の方」と呼べると思います。

1970年代に国際勝共連合を創設し、国際共産主義に命がけで対抗された。
1980年代に巨費を投じて、米国に保守系新聞「ワシントン・タイムズ」を創設された。
2000年代にご自身の世界的基盤を使って、国連改革のための「天宙平和連合」を創設された。

なぜ、他の人ではなく、文先生だけがそれらをすべて自己負担で次々に作られたのか。
それは「感じた人がやるべきだ」という神様の教え、ご自身の本心の叫びによって、そうせざるを得なかったからでしょう。

それに対して、我々は文先生のみ言を聞いて学んで「実体」を求めていく立場です。
それで、我々のことを「み言実体の人」と呼べます。

しかし我々はそのみ言をよく理解できなかったのではないか。
それゆえ、未だに実体になりきれていないのです。

なりきれいていないと、どうして言えるのでしょうか。

私の身の周りに何らかの問題が起こった時、大抵は、
「この問題の責任は、私ではない、誰か他の人にある」
と感じます。

このような感じ方こそ、その証拠だと言えます。

例えばごく身近な例で、子どもが引きこもりになる。
母親は接し方に気を使いながら、何とか子どもを部屋から連れ出そうと苦心している。
ところが父親はそういう母親の配慮に無頓着で、子どもを無視したり、逆に突然暴言を吐いたりする。

こんな場合、母親は、
「夫はどうしていつもこうなのかしら。私の苦労をちっとも理解してくれてない」
と思います。

「子どもをさらに難しくしているのは夫の責任」
そう考えます。

自分勝手な夫の態度が妻を苦しめている。
これは現実的な事実かもしれません。

しかし原理のみ言が教えてくれる「摂理的な真実」はそれと全く反対なのです。

「私の心の中の思いが夫をそういう態度にさせている」
これが摂理的な真実だと教えているのです。


この点について、次の記事で分析してみます。


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