牛の気持ちになって考える
牛の気持ちになって考える。
(NHK「プロフェッショナル」和牛の神様)
今から5年前の2010年、宮崎に口蹄疫が蔓延して、30万頭近い牛が殺処分されたことがあります。
肉牛農家にとって、精神的にも深刻な衝撃をもたらした出来事でした。
5年に一度開かれる「和牛オリンピック」の肉質部門で日本一に輝いた肉牛農家・鎌田秀利も、その一人でした。
「いかにして良い牛を育てるか」
という考え方が、あの口蹄疫を機に変わりました。
それまでも良い肉質の牛を育ててきた実績はあったのですが、どうしても最上級の牛を育てることができなかった。
とにかく多くの餌を食べさせ、太らせるだけでは、最上質な霜降りの肉を作ることができないのです。
考えてみると、それまでは育てる自分を中心に牛を見ていた。
その見方が180度変わり、
「牛の気持ちになって考える」
ということに徹するようになったのです。
「餌をただザクザク切って出されたって、自分でも喜んで食べる気にはならないだろう」
そう考えると、牛が育つ段階に応じて、細やかに飼料の配分を調節するようになりました。
牛はもともと繊細な動物です。
夏になると牛舎の温度は上がる。
鎌田はすかさず牛舎の周辺の草をきめ細かに刈り始めます。
牛舎を覆う草が適切に減れば牛舎の中は柔らかい明るさになり、風が通って涼しくなる。
「牛たちは気持よさそうか」
鎌田はいつも牛の表情を注意深く見ています。
一頭の母牛が臨月になったのに、なかなか生まれないことがありました。
様子を見ながら、
「お腹の中で何かが引っかかっているのかもしれない」
と考えた鎌田は、夫婦一緒になって母牛の尻から腕を突っ込み、力を込めながらも細心の注意を払って、赤ん坊を引っ張り出します。
出てきた子牛は藁にまみれ、少し力もないように見えますが、夫婦は我が子を見るようにタオルで丁寧に拭いてやります。
その一部始終を、幼い2人の息子たちが少し離れたところから、じっと凝視しています。
彼らは一言も発しません。
言葉など出そうにも出せない迫力なのです。
言葉こそないものの、
「あれがお父さんとお母さんだ。牛のために腕までお尻に突っ込んで、全身で牛のために生きている」
そんなふうに思っているのではないかと、私は感じました。
衝撃的な子女教育です。
「牛は精一杯、生きちょる。
人間が答えを出せるか。
牛の生きる力に任せる。
牛が生きれば、我々はその環境を整えてやるだけよ。
それしかできんでしょ」
最後には肉となって人間の命を養ってくれる牛。
しかし、育てる者にとっては自分が主体なのではなく、牛が主人なのです。
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