まかれた種に感謝する
まかれた種に感謝
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花を咲かせてくれた
(NHK「新天地に挑んだ日本人~ブラジル120年~」)
120年前、ブラジルに新天地を目指して挑戦した日本人たちがいました。
その中の1人、農民にして写真家、大原治雄が家族アルバムに残した言葉です。
当時のブラジルは、奴隷制が廃止されたばかり。
渡って行った日本人は、その奴隷の代わりでした。
過酷な環境の中で働き続けた日本人。
それでも大原は日記に、こう記しました。
「開拓の努力、創造の喜びを知る者は恵まれたるかな。どんなにひどい労働、日中の酷暑にあっても、涼しい夜の安息境に入れば、快く昼間の労働を思い得るのだ。そこには何の苦痛も伴わない」
厳しい労働の中でも、大原は深い感動を持って生きていたと、その子どもたちが証しています。
開墾に力を尽くし、広大な土地を手に入れます。
しかし、彼が最も力を注いだのは子どもたちでした。
彼には5人の息子と4人の娘がいたのですが、その全員を大学に送ったのです。
巨額の教育費を捻出するために、彼はせっかく開墾した土地を売り、借金もしました。
歯が欠けているのに、彼は治療しようともしませんでした。
娘たちはそれを嫌がりました。
「みっともない。どうしてお父さんは、あんな歯をほっておくの?」
と母に不平を鳴らすと、母は、
「あなたたちの学費を作るために、お父さんは歯をほっているのよ」
と答えたそうです。
「教育が最も大事だ。この子たちが高い教育を受けて、ブラジルの社会でできるだけ役立つ人間になってほしい」
と大原は願いました。
彼の子孫は、孫が21人、ひ孫が24人。
4世代の間に人種の血は混じり合い、ハーフやクオーターが何人もいます。
大原の次男が言います。
「私たちは父の背中を見ながら成長しました。ですから、心が貧しい人間は家族にいません。人の悪口を言う人間もいません。そして、みんなの心が通じ合っています」
番組を見ながら感動を覚えたのですが、少し間を置いて考えてみると、私は一体何に感動したのだろう?
私の祖父母の世代に10人近い子どもがいたのは珍しいことではありません。
私の母も9人兄弟ですから、祖父母の苦労の様子をよく聞きます。
大原が9人全員を大学まで送ったのは大したものです。
並の信念ではありません。
しかし、感動を覚えたのはそういうところではないのです。
はるか遠いブラジルに移民して、9人の子どもを産み育てた。
苦労も喜びも、悲喜こもごもあったでしょう。
しかし、9人が21人になり、21人が24人に増えた。
子どもの大半は学校の教師になり、中には政府の長官になった者もいる。
人はそのように、どこに暮らしたとしても男女が出会って子どもを産み育て、子どもたちはそれぞれに父母の恩を胸に持って成長し、社会に出て、さらに増えていく。
そのように人は増え、活動範囲を広げながら、いつも父母を追慕する。
これは言わば、当たり前のことです。
万古不易、いつの時代にも変わらず営まれてきた人間の営みです。
その当たり前のことが、人間がどこへ行ったとしても同じように展開される。
その「変わらない」ことに感動したような気がします。
文先生は、
「愛にも家庭にも革命は必要ない。発展もないが、永遠にそこに留まりたい」
と語られたことがあります。
変わらないものの中にこそ本当の価値がある、ということでしょうか。
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