感謝の気持ちはいつ出るか
週に1回、隣の教会から講義を頼まれて通っています。
今日の講義は信仰生活講座の2回目で、さて何をしようかと考えながら、
「祈りや訓読などについても講義したほうがいいな」
と漠然とイメージしていました。
隣の教会まで、車で約40分。
運転しながら、たまたまラジオをつけると、科学ジャーナリストが出てきて「脳」の話をします。
「これは偶然ではないな」
と思って聞いている内、今日の講義のアイデアがさあっと固まったのです。
★★★
こちらへ向かう車の中で、脳の話を聞きました。
「感謝の気持ちはいつ出るか」
という脳科学の話です。
脳を調べてみると、感謝ホルモンが出るのは何か良いことがあった時ではなく、その人が、
「ありがとう」
と言葉に出した時だということが分かった。
だから、
「ありがとう」
と言う時に、気持ちが伴っていなくてもいいのです。
「ありがとう」
と言うことによって、
「ありがたい」
という気持ちが起こってくるのです。
私は今日の講義を準備するときに、漠然と
「信仰の根底は感謝だな。それは必ず強調しないといけないな」
と考えていたのですが、何かが不足している感じがしたのです。
皆さんは、40分の運転中に私が感謝の話をラジオで聴いたことが「偶然」だと思いますか?
確率的に考えれば偶然でしょう。
実際、この番組を全国で数十万の人が聞いたかも知れません。
多くの人は興味を持ちながらも、聞き流したでしょう。
しかし、私にとってはこの番組が「偶然」とは思えなかったのです。
皆さん、今日起こった出来事が偶然だと思えば、そこには何の「意図」もないのです。
あの40分間にたまたまラジオをつけたら、たまたま感謝の話をしていた。
そう思ったら、なんでもない出来事ですが、
「今日私が講義をするのに、まだポイントがしっかり決まっていないから、ちょっとヒントを与えて助けてやろう、と神様が考えて、科学ジャーナリストまで動員してくださった」
と考えたら、どうでしょうか。
そう考えた時には、この出来事には明確な「意図」があり、「感謝」になるのです。
しかも考えてみると、このラジオ番組は今朝聞くのがベストタイミングだったのです。
講義の直前に聴いたので、私の心を賦活し、講義に生命を吹き込んだような気がします。
皆さんは、今朝起きてからここに集まってくるまで、何度「ありがとう」と言われましたか?
(反応は「1回もないです」「そう言えば、1回ほど言ったかな」などなど)
今朝、東の空にお日様が昇ったのは偶然でしょうか?
ちゃんと目が覚めたのは偶然でしょうか?
私がわざわざ隣町から来て、皆さんが私の講義を受けることは偶然でしょうか?
皆さんが今の旦那さんと結婚したこと、今の息子さん娘さんを持ったことは偶然でしょうか?
これらをすべて偶然と思えば、皆さんに感謝はないのです。
そうすると、「感謝」の反対は「偶然」ですね。
でも皆さん、この世に偶然はあるんでしょうか?
量子力学は、ミクロの世界は偶然で成り立っていると突き止めました。
しかし私たちの心は、身の周りに起こることを「偶然」だと思いたくない性質があるようです。
偶然では神様に出会えないのです。
文先生は感謝について、こう言われました。
「感謝は信仰生活の本質である」
感謝を通して神様に出会うのです。
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