ありがとう友よ
1週間ほど連絡していなかったので、久しぶりに娘の様子を聞いてみようと思っていた矢先、娘のほうから電話が入りました。
夜の9時過ぎ、スーパーのバイトが終わった帰り道のようでした。
私は ipad でLINEを使っていて、LINE 電話をスピーカーでしているので、相手の声が丸聞こえです。
ちょうどその時は台所にいて、母も一緒だったので、娘はちょっと差し障りのない話をして、
「じゃあ、またね」
と切った後、メールで、
「また後でかける。愚痴を聞いてもらおうと思ってたけど、おばあちゃんがいたので言えなかった」
と届きました。
胸の内につかえてくると、電話してくるのです。
10時半頃、もう1回娘からかかってくると、電話の会話は50分ほど続きました。
「一緒にいると、すごくイライラする人がいるのよ。どうしてこの人はこんな言い方をするんだろう? どうして自分のことばかり話すんだろう?
その人と話して嫌になってくると、返事もしなくなり、表情も難しくなる。自分がイライラしてくる。
そんなふうに思うと、その人にレッテルを貼ってしまう。で、その後は、そのレッテルでその人を見るようになるの」
「いつ頃から、そんなふうなの?」
「そういう人が中学時代にもいたね。今でもその人を忘れられない」
そんなふうな話から、
「私にはもう、ほとんど『伸びしろ』がないと思う」
と、悲観的な観測が出てきます。
「これから比較文化のほうに進もうと思ってたけど、それってグローバルでしょ。グローバルって言うと、絶対にコミュニケーションが必須でしょ。それはもう私には絶対無理。この能力は絶対に上がらないと思う」
「その辺の伸びしろがないという気がするわけだね? 中学の頃から変わってないという気がする?」
「そう。基本的に変わってないと思う」
私は少し考えて、
「お父さんは、こんなふうに思うよ。これまで君が伸びてないとしたら、これからいくらでも伸びしろが残っているってことじゃないか」
そう言うと、娘は、
「ええーっ! それはお父さんが親だから、そんなふうに考えるんだと思う。誰もそんなことは言ってくれないと思うよ」
と言うので、
「そうだよ。お父さんは親だから、そう言うんだ。親だから信じるんだ」
と答えました。
それに対して、
「そんなふうに信じられる根拠を挙げてみてよ」
と娘が言ってこなかったのは幸いでした。
信じることにおいて、客観的な根拠はあまりないのです。
「信じる」
ということ自体が重要な気がしたのです。
そうこうしている内に、電波状態が悪くなって、通話が切れてしまい、そのまま会話も終わりました。
暫くして、娘からメールが届きました。
「少しスッキリした。ありがとう友よ」
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