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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

意見を言わず、気持ちを言う

2015/10/25
原理を学ぶ 0
20151025 

意見を言わず、気持ちを言え

これも親子セミナーの中で出てきた指摘です。

意見気持ち、それにもう一つ、感情というものがあります。

意見というのは、例えば、子どもが想定外な(と私には思えるような)言い方をしてきた時に、
「あなたはどうしてそんな言い方をするのよ。原理的じゃないでしょ」
と言う。

普通には、意見は世間の常識とか倫理道徳ですが、原理を学んだ人にはこれに原理が加わります。

感情というのは、
「あなたはいつもそんな言い方をするわね。まったくかわいくないんだから」
と言う。

大抵は、その瞬間に湧き上がる負の感情です。

それに対して、気持ちというのは、
「あなたがそんな言い方をすると、お母さんはちょっと悲しくなるわ」
というような感じです。

感情と少し区別しにくいところもありますが、相手のことを思いながら出てくる自分の素直な感情とでも言うのでしょうか。


意見、感情、気持ち、3つともやり取りです。

原理では、「正分合」というのですが、意見と感情は「正反合」と言ったほうがいいかもしれません。
なぜかというと、意見も感情も、相手を説得するか、あるいは屈服させようとする反応だからです。

2人の人がいて、Aさんには甲と言う考えがあり、Bさんには乙と言う考えがある。
この2人がそれぞれの考えを持ってやり取りを始めるとき、お互いが自分の意見を通そうとすると、意見か感情という手段を使うようになります。
意見を言って相手を説得するか、感情で威圧して相手を屈服させるか、です。

これは、甲が肯定されれば乙は否定され、乙が肯定されるなら甲が否定されるという考えです。
2つの考えは両立しない、勝つか負けるかです。
それで、こういうやり取りは「正反合」作用だと見ることができます。

しかし人の心には、自分の考えを通したいという気持ちとともに、自分の気持ちを理解してほしいという願いがあるものです。
そして、むしろ後者の方が強いかも知れません。
特に、家族のような近い関係においては。

例えば、父母と子どもの考えが対立するように見えるとき、どちらか一方が自分の考えを相手に押し付けて、一つの考えに統一することがベストかどうか。
これは慎重に考えるべき問題です。

父母に反発しているように見える子どもの心の中には、
「自分の考えを通したい」
という思いよりも、
「こういうふうに言う自分の気持を分かってほしい」
という思いのほうが強いかもしれません。

そういう場合、父母が子どもの気持ちを分かってやれば、子どもは意外とあっさり自分の考えを鞘に納めるか、あるいは、甲でも乙でもない、第3の丙という考えで合意できるかもしれません。

こういうやり取りを「正分合」というのでしょう。

しかし現実には、私たちは「意見」と「感情」を前面に立てた「正反合」に走りやすい。
意見でも感情でもない、お互いの「気持ち」を言い合う「正分合」がなかなかできないものです。

「親子でもなかなか『気持ち』を言い合わないことが多い。もしかすると、一生に一度も自分の『気持ち』を言わない親がいるかもしれない」
という講師の洞察は、私の心にも深く突き刺さる一言でした。


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