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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

信仰講座問答講義

2015/10/22
信仰で生きる 0
20151022 

原理講義が一通り終わった後、今日の講義は「信仰講座」のようなものになりました。

従来、信仰講座と言えば、「神観」「罪観」「メシヤ観」というのが定番ですが、今日は復帰摂理の3つの家庭を参考にしました。
3つの家庭とは、アダム、ノア、アブラハムの家庭です。

講義の一部を思い出しながら記録しておきます。

★★★

「アダムとエバが完成するためには、何が必要だったのでしょうか」
と聞くと、受講者は一様に頭をひねっています。

「それでは、私たちが完成するには、何が必要でしょうか」
と改めて聞くと、ある人が、
「それは信仰基台と実体基台を立てて、メシヤを迎えて原罪を清算して .... 」
と答えます。

「そうですね。我々には信仰基台と実体基台が必要ですが、アダムとエバには必要だったでしょうか」
重ねて尋ねると、再び頭をひねって、別の人が、
「彼らには、そういうものは必要なかったような .... 」
と答えます。

「本当にそうでしょうか? それなら、2人はどうやって完成する道があったでしょうか?」
と私は疑問を呈しましたが、そう答えるには、理由があると思います。

信仰基台、実体基台という言葉は、創造原理には出てこず、復帰原理になって初めて出てくる。
だから、この2つの基台は復帰摂理においてのみ必要になったのではないか。
そんな気がするのです。

そこで、原理講論の後編「緒論」の一節を読んでみました。


アダムが創造目的を完成するためには、2つの条件を立てなければならなかった。その第一条件は『信仰基台』を造成することであった .... 第二の条件は、彼が『実体基台』を造成することであった。


ここを読んでみると、アダムとエバにも2つの基台が必要であったと明らかに分かります。

さて、そうだとすると、2人にとっての2つの基台はどんなものだったか。

その質問をすると、ある人が、
「信仰基台は神様からもらった戒めを守って、その後、堕落性を脱ぐための条件を .... 」
と答えるので、私もちょっと慌てて、割って入ります。

「アダムとエバに堕落性がありましたか?」

これは、本来の基台と復帰のための基台とを混同したために生じた勘違いです。


アダムが神のみ言を信じ、それに従順に従って、その成長期間を完全に全うすることにより信仰基台を立てることができたならば、彼はその基台の上で神と一体となり、実体基台を造成する ....


と書いてあるので、アダムが2つの基台を立てれば、彼は創造目的を完成できたはずです。

しかも、信仰基台と実体基台とは一つの流れのようにスムーズにつながっているような印象を受けます。

ところが復帰摂理を見ると、例えばアダム家庭では、
「アダムの身代わりのアベルが供え物をして信仰基台を立て、その後、兄のカインとの関係で堕落性を脱ぐ条件を立てて実体基台を立てる」
という流れになっているので、信仰基台と実体基台とが別々に分かれているような印象を受けるのです。

その結果、信仰基台は供え物によって立てられ、実体基台は堕落性を脱ぐ関係で立てられると考えるようになる嫌いがあります。

信仰基台は供え物をすればよく、その中には、「堕落性を脱ぐ」とか「成長する」といった概念は含まれない。
それらは実体基台の段階ですべきものだ。
そのような捉え方になるのです。

しかし本来の信仰基台には、「成長」という概念がしっかり入っています。
むしろ、信仰基台とは「成長そのもの」だと言ってもいいものです。


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