自分の貴重な責任を霊界に譲り渡すな
原理講論を通して学んだ堕落論では、
「堕落の動機は天使長にある」
というふうに理解されます。
さらには、堕落の責任までも天使長にあるのではないかという印象があります。
辛うじて、
「エバが引かれてくる気配が見えたとき、... ルーシェルは死を覚悟してまで、より深くエバを誘惑するようになった」
という記述によって、エバが全くの受け身であったわけではないということが伺われる程度です。
そして実際、アダムとエバが堕落した後、神様から問われて、2人とも自分の責任を回避し、最終的な責任が天使長に回って行きました。
人間ならざる天使には、責任がないはずである。
責任があるはずの人間がその責任を回避し、責任のないはずの天使がその責任を負った。
これは、とても理解がしにくい箇所です。
天使長は本当に堕落の責任を取ったのでしょうか。
原理的に考えれば、それは無理な話です。
3年前、本体論の研修会に出たとき、
「エバが積極的に天使長を誘った」
という説明を受け、少なからず堕落論の再考を促された記憶があります。
少なくとも、誘われたエバがそれを拒否しさえすれば、天使長は決してそれ以上に誘惑することはできなかったというのです。
そうだとすれば、堕落の責任はエバにある。
さらには、エバに誘われたというアダムにも責任がある。
これまでの世界は、堕落に対して誰かが責任をとった世界ではなく、実は誰も責任を取らなかった世界ではないか。
本来責任をもつべきであった人間が責任を取らず、責任を取れない天使も、当然、責任を取っていない。
とすれば、天使長は責任を取っていないのに、あたかも責任を取ったかのように振る舞って、この世界を支配してきただけです。
「私が堕落の張本人だという責めを負ってもよろしゅうございます。その代わり、私に人間世界に対する支配権をお譲りください」
そう言って、本来は地上のアダムが主体であり中心であるのに、霊界の天使が主体であるかのような顔をしてきました。
このように、アダムが霊界に主体の立場を譲り渡してしまった結果は、はるかな時代を超えて、今の我々にも及んでいるように思えます。
例えば、我々の人生に問題が生じたとき、
「この原因は、先祖にあるのではないか?」
と考える。
「先祖が解怨、祝福されれば、私の生活は楽になり、豊かになるのではないか?」
と期待する。
神様の創造過程において、天使界には一定の重要な役割があり、それゆえ、復帰摂理においても霊界の役割があることは確かでしょう。
しかし、摂理の主体はあくまでも地上界である。
とくに現代の摂理においてはそうでしょう。
この後天時代において本体論が出てきたというのも、意味があります。
「本体論は、父母が直接子女に教える教えである」
と文先生は言われました。
アダムとエバは神様と天使から育てられました。
いずれも霊的な存在です。
しかし、一旦アダムとエバが完成して父母になれば、その子女たちは目の前の父母から直接、人間の言葉で実体的に教育されます。
霊界が地上の人間を教育する期間というのは、ごく限られたものです。
このとき、父母が子女を教育する根幹は、
「神様が子女に賦与した『本性』を信じる」
ということです。
先天時代の教育は、子女に自分の堕落性を認識させて、それを是正し、本性に近づけようとする教育でした。
しかし本体論の教育は、子女に自分の本性を認識させて、それを豊かに発揮させようとする教育です。
「自分の貴重な責任を霊界に譲り渡すな」
という教育です。
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