後天時代の親学⑨
子育てにおける親の責任は何か。
「親セミナー」では、4つの責任を挙げています。
① 神の子女であることを信じる
② 本性(神性)を信じる
③ 与える(投入する)
④ 祈る
この4つをピラミッド型に重ねると、①の「神の子女であることを信じる」が一番下の土台となります。
子育てにも人間の責任分担があると考えれば、この親の責任が全体の95%で、その上に子どもの責任が5%乗っかる。
そんな感じです。
考えてみれば、この親の4つの責任分担は、これまで歴史的に神様が我々人間に対してなさってきたことです。
この責任の根底には、
「信じる」
ということがあります。
復帰摂理の根底には、堕落した人間を、
「それでも私の子である、その中には本性(神性)が消えずに残っている」
と信じてこられた神様の信仰があるのです。
復帰摂理の観点から見れば、親である我々も
「私の子は神様の子である、その中には本性がある」
と信じなければならない立場でしょう。
もしそれを信じることができなければ、
「私の子は私の子である」
と思うしかない。
そうすると、子どもの本性も信じることができなくなります。
第3の責任は「与える」ことですが、子どもの本性を信じることができないと、「要求」が強くなります。
「与える」ことは「投入する」ことですが、投入は「見返り」を求めない行為です。
子どもの本性を信じることができれば、
「必ずいつか子どもの本性は現れる」
と思って、投入し続けることが可能ですが、本性を信じることができないと、それができないので、どうしても早く結果を求める「要求」になってしまうのです。
セミナーの講師は、こう言いました。
「信じることと期待することは別物です。信じるところからは愛が生まれてくるが、期待からは要求が出てくるのです」
「私の子は神様の子であり、神性が潜んでいる」
ということは、信じるべきであって、期待すべきことではない。
どんなに信じがたい現実の姿があったとしても、信じる。
期待しないで信じる。
それは愛なしにはできないことであり、また信じることを通して投入でき、投入すれば愛が強まり、深まっていく。
そういうことだろうかと思います。
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