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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

後天時代の親学⑨

2015/10/11
原理を学ぶ 2
20151011 

子育てにおける親の責任は何か。
「親セミナー」では、4つの責任を挙げています。

① 神の子女であることを信じる
② 本性(神性)を信じる
③ 与える(投入する)
④ 祈る

この4つをピラミッド型に重ねると、①の「神の子女であることを信じる」が一番下の土台となります。

子育てにも人間の責任分担があると考えれば、この親の責任が全体の95%で、その上に子どもの責任が5%乗っかる。
そんな感じです。

考えてみれば、この親の4つの責任分担は、これまで歴史的に神様が我々人間に対してなさってきたことです。

この責任の根底には、
信じる
ということがあります。

復帰摂理の根底には、堕落した人間を、
「それでも私の子である、その中には本性(神性)が消えずに残っている」
と信じてこられた神様の信仰があるのです。

復帰摂理の観点から見れば、親である我々も
「私の子は神様の子である、その中には本性がある」
と信じなければならない立場でしょう。

もしそれを信じることができなければ、
「私の子は私の子である」
と思うしかない。

そうすると、子どもの本性も信じることができなくなります。

第3の責任は「与える」ことですが、子どもの本性を信じることができないと、「要求」が強くなります。

「与える」ことは「投入する」ことですが、投入は「見返り」を求めない行為です。

子どもの本性を信じることができれば、
「必ずいつか子どもの本性は現れる」
と思って、投入し続けることが可能ですが、本性を信じることができないと、それができないので、どうしても早く結果を求める「要求」になってしまうのです。

セミナーの講師は、こう言いました。

「信じることと期待することは別物です。信じるところからは愛が生まれてくるが、期待からは要求が出てくるのです」

「私の子は神様の子であり、神性が潜んでいる」
ということは、信じるべきであって、期待すべきことではない。

どんなに信じがたい現実の姿があったとしても、信じる。
期待しないで信じる。
それは愛なしにはできないことであり、また信じることを通して投入でき、投入すれば愛が強まり、深まっていく。

そういうことだろうかと思います。


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Comments 2

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ナツミカン

子育てには金が必要

この内容って、一般人向けには実に聞こえのいい話だけど、信者に語る話しかしら?
目ざめて見れば洗脳されてたと解り、もうこんな組織になんか金はビタ一文出す気はない!

金回りが悪い信者にとっては、
「金」があることが子育ての第一条件、教祖の子供達は献金で思う存分教育環境を整えられて、今は好き勝手それぞれ資産を我が物顔で使ってあ~だこ~だと尤もらしいこと言ってるけど・・・、
無年金でこき使われ「職なし金なし信用なし」でも、やっと自立したと思ったら献金地獄!カードローンで献金した金返してほしい。

子供の教育費ぐらいふんだんに使える親になりたい!子供・・・優秀だから親の教育なんて大していらないのよ。子供の本分は子供自身が切り開いて行けるものです。親の出番なんて大してないってのが現実で、掛けられるところで掛けてあげられる金をどれだけ用意できるかで、将来が全く違って来るのです。

昔のような経済成長の時代と違う今は、いかに子供自身に選択肢を与えられるだけの環境作りが出来たかで子供の将来と本質が全く違ってくる。

教育部長さんは、信者の現実を知っているのでしょうから、「金のない場合」はどうしたら良いのかの就活講義でもしたらどうでしょうね?せめて、高3の重要な時期に家出してしまうようなことにならないような記事もあげてくださいな。

2015/10/13 (Tue) 02:00

教育部長

ナツミカンさんへ

確かに、教育にお金はかかりますね。私も子どもが大学に入って、だいぶやせ細りました。
お金がなるべくかからない知恵も必要だと思います。
それと、志。
文先生が自叙伝の中で、
「勉強して未来に備えることよりもっと大切なことは、志を立てることです」(p.329)
と言っておられますね。
これがあれば、子ども自身が相当に自力で道を開いていけるのではないかと思います。
でもこれは親自身の問題でもありますので、いい加減なことではできませんね。

2015/10/13 (Tue) 23:16