堕落の張本人は他の誰でもない
堕落の張本人は一体誰なのか?
聖書には、蛇が人間を騙して堕落させたと書かれています。
この書き方だと、堕落の張本人は蛇である。
堕落の責任は蛇にある。
そういうことになります。
ところが、この物語は、蛇(サタン)にとっては却って好都合でした。
このように書かれ、人間がそれを信じている限り、人間の責任が隠されるので、結果的にサタンの人間世界に対する支配権が揺るがないからです。
サタンが堕落の責任をとったので、人間の主人になったのです。
このことは、以前の記事「後天時代の親学④」で触れました。
原理の堕落論は、このサタンの隠蔽を引っ剥がしたのです。
堕落の責任は、100%人間にある。
そもそも、エバが天使長になびかなければ、エバの堕落は成立しなかった。
アダムがエバに折れなければ、アダムの堕落は成立しなかった。
そのように考えて初めて、人間が主人の権限を取り戻すことが可能だと思えます。
穿った見方をすれば、神様は聖書にそのように記述させることによって、復帰摂理上、サタンへの敵愾心を高めるために、蛇に堕落の責任を帰したのだとも考えられなくもありません。
しかし、その書き方には弊害もあったのです。
ところで、考えてみると、何らかの問題が起こった時、我々には、
「この問題の責任は誰にあるのか?」
と、責任の所在を特定しようとする性癖があります。
そしてその責任の所在は、大抵、私以外の誰かなのです。
アダムの家庭で、長男カインが次男アベルを殺害した時、母親のエバは、
「この殺人の責任は、カイン自身にある」
と考えた可能性があります。
我々自身の家庭においても、子どもが何か問題を起こせば、その責任は誰にあると考えるでしょうか。
その子ども自身の中の罪がそうさせたのか?
あるいは、先祖から来た罪がそうさせたのかも知れない。
あるいは、あまり考えたくはないけど、もしかして、親である私自身に責任があるのか?
しかし、本当はそのように「誰の?」と区別する必要はないのです。
区別することは、私の中に本当の愛がないことを実証しているのです。
アダムとエバの子孫は、
「この問題の責任は、私以外の誰かにある」
と考えやすい人たちです。
(この内容は「親セミナー」を参考にさせていただいています)
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