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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

後天時代の親学⑦

2015/09/14
研修日記 0
20150914 

神様の創造は、「思い」から始まりました。

「100%愛することのできる子女を持ってみたい。妻を持ってみたい」
という思いが、原初にあったのです。

その思いから、さまざまな知恵や力が生まれてきました。

それゆえに、再創造もまた「思い」から始まるべきです。

父母にも子女にも「本心の思い」があります。

父母は自分の子女を
「神様の子だ」
と信じる思いがなければなりません。

その思いがないと、子女の中に神性を感じることができません。

「この子は私に似て、こういう欠点がある」
というふうに見てしまうと、子女の神性が見えず、神様が役事できないのです。

一方、子女の中の本性にも「思い」があります。
その思いは、大きく分けて2つです。

① 自分が神の子であることを知りたい
② 親が私を愛していることを知りたい

父母には、このような子女の思いに応えてあげるべき責任があります。
どのようにしたらいいのでしょうか?
私自身も課題として、いつも悩むところです。

子女の思いの①に対して、親の課題は何でしょうか?

「私の子は神の子だ」
と信じるのであれば、そのような貴い存在に正しく接することのできる私(親)にならねばならないでしょう。

私の中の堕落性ではなく、本性を持って子女に接する努力が必要です。

さらに、子女の神性を信じるというのですが、信じるというのは、「ただ信じる」ことではありません。
本当に信じるというのは、信じて「投入する」ことです。

「信じている」というのは目に見えません。
それは「投入すること」で証明されるのです。

投入しようとするときに、親の愛が試錬されます。

そのような親を見ながら、子女は
「親はどこまで投入してくれるのだろうか。私の反応がどうであれ、それに関係なく無条件に投入してくれるのだろうか」
と感じ分けているのです。

投入するというのは与えることでもあります。
しかし、与えることは「投資」ではありません。
投資する人は、必ず見返りを想定しています。
だから、投資という行為の裏には、必ず「要求心」があるのです。

要求心を感じ分けると、子どもは親の投入を「真の愛」とは認めないでしょう。

(この記事も「親セミナー」を参考にしています)

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