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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

後天時代の親学⑤

2015/09/07
研修日記 0
20150907

本性と堕落性とを中心として、もう少し「後天時代の親学」を考えてみようと思います。

二世の父母である一世夫婦は原理を学んできたとは言え、その実体の姿は千差万別でしょう。
いずれにせよ、子女はその父母の姿を見て育つしかないというのが逃れられない現実です。

子どもの中には、堕落性とともに本性があります。
本性は創造本然的な「実体」を求めます。


例えば、お母さんは教会の信仰を熱心にしているが、お父さんは教会に関心がないか、やや反対している場合。
信仰というものを中心とした夫婦の一致という実体はありません。

お母さんは教会に関心のないご主人に対して愛想を尽かし、冷めた態度で接する。
ご主人を無視しながら、一生懸命にみ言葉の訓読を一人で続ける。

それを見て育つ子女の本性は、
「信仰を持っているお母さんには、愛の香りがない。お母さんの信仰は観念的だ」
と直感します。

このような場合、子どもにとっては本性の願いを満たす実体がないので、本性が刺激されません。
それでもお母さんが子どもに強制的に信仰を願えば、子どもはそのお母さんの前に本性を抑えてしまいます。


2番目の例は、お父さんは同じように信仰に関心がないのですが、お母さんはあくまでも愛を持って接しようとします。
食事でも、その他の世話にも精誠を込めます。

そういう家庭では、子どもは、真実に生きようとする母親という実体を見ます。
その実体に本性が刺激を受け、自分も善を目指そうとするようになります。

「お母さんの信仰は本物だ。僕も信仰を持って正しく生きないといけない」
と本性が感じます。

ただし、
「お母さんは立派なのに、それでも夫婦関係は難しい」
という観念も作られるということを見逃してはなりません。

子どもはあくまでも、母親に「個体的実体の真実」を見ているに過ぎないのです。
そこには、母親の信仰の上に片足で立っているような不安定さがあります。


続きは、次の記事に。
(この記事も「親セミナー」を参考にさせていただいています)


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