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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

教会とか修練会が苦手なのよ

2015/09/06
生活日記 9
20150906 

夏休みで10日間ほど帰省していた息子が、また大学へ戻るというので、新幹線駅のある広島まで送って行きました。
買い物をしたかった娘もついてきて、帰りは娘と2人のドライブ。

「若い子たちの気持ちが、お父さんはどれくらい分かってると思う?」
と娘が尋ねるので、正直な気持ちで、
「良くて30%というところかなあ」
と返答すると、
「意外と低く見積もってるね」
と娘。

「日頃から二十歳前後の青年と話すことはあるけど、彼らの気持ちをどれだけ汲み取っているかと考えると、あんまり自信がないね」

ところが、私が他の二世の話をし始めると、娘の反応はにわかに鈍くなってきます。

「お父さんは、どんな気持ちでそんなふうに他の二世の話を私にしてくるのよ? 私はそんな話を聞くと、とても落ち込むのよ」
と言うので、「やっぱりそうだったな」と思いながら、少しその話を控えます。

「私は教会に行っても大抵は落ち込んで、その場では必死にこらえているけど、教会を出た途端に泣きながら帰ったりするの。修練会も私にとっては最悪」

これまで、何回か修練会に参加しましたが、良い体験をできなかったようです。
これからも修練会に出したいと思っている親としては、なかなか悩ましい問題を抱えた娘です。

「どうしてそんなに落ち込むんだ?」
と尋ねると、
「だって、教会の人って、みんなとてもハイテンションでしょ? すごく頑張って生きている感じがして、自分と比べて落ち込むのよ」

「そうなのか。みんながそうだというのでもないと思うけど」

「私も頑張って、何かちょっとでも人のためになってあげようと努力することがあるけど、そういう自分を見て『偽善だな』と思う。それでまた落ち込む。人によっては、なんだか自然に人のためにできる人がいるでしょ? 私にはできない。生まれつきかな?」

「どしたらいいんだろう?」
と聞いてくるので、私も少し考えて、
「人のことを考える前に、自分のことをもっと考えたらいいんじゃないの?」
と答えてみました。

「それじゃ、まったく自己中じゃないの?」

「本当の善人は、本質的に純粋な自己中心主義者だ」

「何、それ?」

「ああ、これはダライ・ラマの言葉だったかな? お父さんの言葉ではないけど、共感するところがある」

そこから、その意味するところを少し説明してみました。


「人に対して何か為になってあげよう」
というのは、悪い動機ではない。

しかし、自分の中に「人の為になれる何か」がないのに、何かしてあげようとすれば、無理をすることになる。
本当にはできないこと、心からやってあげたいと思わないことをやるしかない。
それで、自分を偽善だと感じてしまう。

それよりは、まず自分自身にもっと集中して、本当に人のために何かをしてあげられる自分になることに集中、努力したらどうなのか。
結局、人は自分の中にあるものしか、人にあげられない。

我々の内部では、いつも堕落性と本性とがいつも闘っている状態だと思う。
人のためにやってあげたいというのは本性のようでもあるが、自分の中にないものを必死になってあげようとして、結局は自己嫌悪に落ち込むというのは、本性だろうか?

自己主管とか責任分担と原理で言うけど、それはつまり、人のことより先ず自分の成長と完成に責任を持てということではないかな。


概略、そんな説明をしてみたところ、娘は、
「ふ~ん、何だかよくわかんない」
と得心が行かない様子です。

どうも私の説明が上手くないのですね。
少し決めつけるように言ってしまうのも、私の悪いところです。

それにしても、我々の中の本性と堕落性。
この問題はもう少し「後天時代の親学」で考えてみたいと思います。


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Comments 9

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tenmondai

No title

『人は自分の中にあるものしか、人にあげられない』
とても納得の行く印象に残る言葉ですね。自分を高めることに集中すると、自然と人にあげられるようになるということですかね。
娘さん、自分の気持にとても素直ですね。

2015/09/06 (Sun) 16:06

教育部長

tenmondaiさんへ

娘と話していると、いろいろ教えられることが多いです。
十分な助けになってやれないのが、もどかしい。

2015/09/06 (Sun) 16:10

くろねこ

教育部長さんと娘さんの関係はとても素敵ですよね。

こういった素直な悩みをお父さんに話せることで少しずつ自分の心も整理されてゆけると思います。。。

2015/09/06 (Sun) 19:25

fatherfujioka

長文で失礼します。

私は教会で通常考えられている「自己中心=悪」という概念に疑問を持っていて、今では「自己中心も創造本性」という認識に至っています。

根拠となるみ言は「み旨と世界」の次の内容です。

「我々人間のすべての特質は、神から来ているのであります。我々は、人間には利己的な傾向があるということを知っています。これはある一時期、神御自身が自己中心的であられたので自然なことなのです。この事実はあなたを驚かすかもしれませんが、しかし、神は人間と宇宙とを創造される前は、たった一人で、御自身以外の何ものをも意識することなく存在しておられたということを理解しなければなりません。しかしながら、神が創造に着手されたその瞬間に、神の中の生命という概念が完全にかたちとして現れてきたのです。神は、今や、御自身のためではなく、その対象物のために生きるようになったのです。」(人間に対する神の希望 P262)
よろしければ娘さんにもお伝えください。
成長過程で自己中心的な思いの方が強いのは自然なことだと。

また、本性と堕落性についての問題をお考えのようですが、よろしければ以下のサイトをご参照ください。
http://blogs.yahoo.co.jp/yondewanaranai/12108705.html

一言で言えば、堕落論の否定ですが本性と堕落性について考える前に一読の価値があります。堕落論は一度、深く掘り下げて再考することをお勧めします。

2015/09/06 (Sun) 20:32

教育部長

fatherfujiokaさんへ

参考になるコメントをいただき、感謝します。
お父様のみ言葉は私もかつて読んだ記憶が鮮明に残っています。
それまでの神様イメージを変換させる強烈なメッセージでした。
ただ、神様の自己中心はいずれ絶対利他主義へと必然的に向かう自己中心だという点が重要でしょうね。
それは多分、神様の自己中心が「心情」から出てきたものだからではないかと考えます。
参考に教えていただいたブログもだいぶ読んでみました。信仰の長い長老の方の論考には参考になるものがいろいろ含まれていますね。
ただ、違和感を覚える箇所もだいぶありました。
事実として指摘されていることには間違いないことも多いです。問題は、それをどう解釈するかですね。そこには原理をどう理解するかという、なかなか厄介な問題が絡んでいます。
いずれにせよ、参考にさせていただきます。

2015/09/06 (Sun) 22:43

教育部長

くろねこさんへ

コメントありがとうございます。
親セミナーで聞いたことと自分の実際の親子関係とを合わせながら試行錯誤すると、いろいろなことを悟らされます。娘との対話にも神経が鋭くなります。
私も良い娘を神様からもらったなあと感謝しています。

2015/09/06 (Sun) 22:48

fatherfujioka

その通りです。

よろしければ以下のブログもご参照下さい。

http://ameblo.jp/mnlgs/

その中に以下のお父様のみ言があります。
 「夜の神と昼の神。お前たちは彼らが何をしているかを知らない。エデンの園で、神はアダムとエバと天使長を呼んで言われた。『善悪の木の実を取って食べるな。それを食べれば死ぬだろう。』 しかしお前たちはその実が何を意味するかを知らない。これは霊界の高いレベルにおける事実である。霊界の低いレベルに住む者は、より高いレベルのことを知らない。一度しかやってこない時期を逸してはならない。」

晩年お父様は、既存の原理観を覆すみ言を自ら語られ、私たちに新たな真実を見出すよう迫っておられました。
にも拘らず代わり映えのしない内容の修練会だったり、旧態依然の原理観を元にした話しかしない教会なので、違和感を感じるというか求めているものと違うので本心が満たされないのです。
まずは堕落論。お父様が言われている通り、「善悪の実」はエバの愛や性ではありません。

2015/09/08 (Tue) 21:24

匿名

No title

気持ちをわかってあげられてないのではないか?
説明が悪かったのではないか?
もっと助けになってあげたいのに・・・

ってのが消えて

「彼女は大丈夫。自分の中にある自分の答えを見つけて、イキイキと人の為になれるコトをみつけてやっていける。」

で一色になれるといいですね。お父さん。

2015/09/28 (Mon) 17:07

教育部長

匿名さんへ

本当に、そういう気持ちの一色になりたいと思いますね。
思っても、そうでない色が少し残ってしまうような…

2015/09/28 (Mon) 22:08