後天時代の親学④
今回も「親セミナー」の内容を参考にします。
人間の中で創造本性と堕落性とはどのように作用するのか、人間始祖、特にエバの姿から考えてみます。
天使長がエバを誘い、エバがアダムを誘って堕落が起こったとは、堕落論にある内容です。
特に、天使長とエバとの関係においては、天使長が誘ったとある一方で、エバは「引かれていく気配」を見せたともあります。
エバの責任も大きいと示唆するポイントです。
三者が堕落した後、神様がそれぞれに尋ねられます。
「なぜ、あの禁断の実を取って食べたのか?」
と。
それに対して、アダムは、
「エバに騙された」
と答え、エバは、
「蛇に騙された」
と答えたのです。
2人のこの答えによって、天使長が堕落における最終的な責任を取ることになりました。
天使長は責任を取るべき立場にはないのに取ったので、その交換条件として、人間への支配権を手に入れたのです。
アダムとエバにおいては、堕落の責任を自らが取ることが「本性」であると思われるのに、なぜ責任を取ろうとしなかったのか。
あまりにもナイーブな感じがします。
それが不思議です。
ともかく、この時にエバは自分のしたことを悔い改められなかったのです。
その後、子どもが生まれて、長男カインが弟をひどく嫉妬し、批判をするようになりました。
これは明らかに堕落性です。
このようなカインに対して、母親であるエバはどのような態度をとったのでしょうか。
そのことは聖書にも原理講論にも記述がありません。
しかし、その後のカインが取った行動から見れば、エバはカインの態度を黙認していたか、あるいは擁護していたのではないかと想像されるのです。
エバは、
「カインの問題はカインの責任だ」
と考えており、
「過去の自分の罪がカインを通して現れている」
とは考えていなかった可能性があります。
これはエバの中に堕落性が定着していたからでしょう。
堕落性は自分の罪、過去の自分を正当化したいのです。
エバはカインの中に、自分と同じ堕落性を感じ取りました。
そうであるがゆえに、カインの堕落性を自分自身の問題として悔い改められなかったのです。
エバは自分の堕落性でカインの堕落性と相対したのです。
ここで、エバには2つの問題があったと思われます。
① カインの堕落性に相対した
② カインの本性を見ることができなかった
これと同様の問題は、私たちの親子関係でも出てきます。
子どもが学校の先生や友だちのことで批判や不満を親に訴えたとします。
批判や不満は堕落性から来るのですが、親がその堕落性に相対すると、
「そうだね。あなたは悪くない」
と同調してしまうことがあります。
すると、子どもは自分の不満が肯定されたので、ある種の喜びを感じます。
ところがそれは、堕落性同士の授受作用から生まれる喜びです。
子どもは堕落性においては喜んでいるのに、本性においては父母を軽蔑するのです。
「こんな私の堕落性を擁護する親は、尊敬すべき実体ではない」
と思い、心の中では、
「私の本性をもっと信じてほしい」
と訴えているのです。
親セミナーでは、このような親を、
「本性を育ててあげるべきなのに、子女の堕落性を拾って煽る親」
と表現しています。
こういう問題はどこから生じるのでしょうか。
親が自分自身の何が「本性」で、何が「堕落性」かということを明確に自覚できていないところに、その原因があると思われます。
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