後天時代の親学②
昨日は台風15号が九州を垂直に通過しながら、その周辺を広く暴風雨に巻き込みました。
ちょうどそんな日に息子が静岡から帰ってくるというので、ちょっと複雑な気持ちで山を越え、広島駅まで迎えに行ったのです。
帰りに通ろうとしたいつもの道は、途中が大雨で崩れ、通行止め。
日もとっぷりと暮れた山道を大きく迂回して帰ると、家に到着したのは予定を4時間近くもオーバーした真夜中でした。
大いに疲れましたが、その御蔭で、より長い時間、息子と話すことができたのは不運中の大きな幸いと感じました。
特に原理の話をしたのではないのですが、話しながら、先日の「親セミナー」で聞いた内容が私の頭の中で微妙に絡んできたのです。
それが種になったような気がします。
夜中に寝ている時、頭の中で「親セミナー」のポイントが勝手にまとまってきたのです。
的確に表現できるかどうか分かりませんが、まとめてみようと思います。
★★★
一世は「み言葉」という真理を聞いて、信仰の道に入ってきました。
もちろんそれ以外の要素もあるでしょうが、話を少し単純化します。
しかし、その信仰というものは目に見えません。
そこで、その目に見えない信仰は2つの形をとって可視化するのです。
その一つは、信仰生活の形です。
そしてもう一つが、愛です。
信仰の中身には多くの要素が含まれます。
- み言葉をどれほど信じ、体恤しているか
- 真の父母をどれほど信じ、愛しているか
- 天の父母様(神様)をどれほど信じ、愛しているか
- 信仰の友、兄弟姉妹をどれほど親しく感じているか
- 教会をどれほど貴く思っているか
- 自分が体験してきた様々な摂理をどのように受け止めてきたか
- 祝福の配偶者をどのような心情で愛しているか
- 生まれてきた子女の価値をどのように感じているか
- 自分の父母をどのように重んじているか
- 生活の中にある万物をどのように主管しようとしているか
このような様々な信仰の内面的な要素は、日々の信仰生活の営み方、つまり目に見える形として、必然的に現れてきます。
例えば、み言葉に価値を置く人は、訓読を熱心にするでしょうし、原理講論も大切に扱うでしょう。
神様、真の父母様への思いは、家庭の祭壇に現れるかも知れません。
祭壇をいつもきれいに保ち、掃除をし、ホコリを払い、そのきれいな祭壇の上に講論をきちんと置いてある。
もっと言えば、玄関から奥の部屋一つ一つまで小奇麗に片づいており、余分なものが乱雑に散らかっていない。
その様子を見ただけで、その人がどんな信仰を持っているのか、さっと直感されるでしょう。
信仰は日常の人間関係にも現れます。
例えば、教会の食口同士で、どんな言葉遣いをするか。
丁寧な言葉を使い、容易に声を荒らげることがないか。
どんな立場、境遇の食口に対しても差別のない態度で接するか。
人間関係の中でも、家族関係は最も明瞭に信仰が現れます。
たとえみ言葉をあまり学ばず、教会に足を向けない夫であっても、妻は彼の中に「神性」を感じて、その価値を貴ぶ接し方をしているか。
言うことを聞かない子どもに対しても同様に、その神性を貴び、お互いの本性で接しようとしているか。
あるいは逆に、自分の父母を神様のように貴んでいるか。
三世代で暮らす家庭であれば、父母がその父母を扱うその態度を見習いながら子どもたちは育ち、ゆくゆくはその同じ態度で父母を扱うようになるでしょう。
こういうあらゆる生活姿勢の中に、その人がどれほど自他の神性を感じる感性を持っているかが現れます。
そして、このような生活姿勢は決して偽ることができないものです。
家庭においては、父母がどのような信仰を持って生活しているかが、子どもたちの「教育環境」になるのです。
父母にとっては「信仰の現れ(=実体)」が、その子どもたちにとっては霊的な「教育環境」になるということです。
その点を指摘して、先日の「親セミナー」の講師は、
「一世は信仰から実体を求め、二世は逆に実体から信仰を求める」
と言ったのだろうと思います。
一世たちは(一般的な見方で)自分の育った家庭に「信仰の生活実体」を体験することができなかった世代です。
それで実体を知らないままに、大人になってからみ言葉を聞き、信仰を出発します。
その反対に、二世たちは信仰を持ってきた父母のもとに生まれるので、「信仰の生活実体」を見ることができれば、本性がそれに刺激を受けて育ち、その結果として信仰を持つようになる。
このように、一世と二世とは、信仰と実体の順序が全く逆なのです。
そしてもう一つ、信仰の形として現れるものが「愛」です。
この続きは、次回に。
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