誇るべきブランド
教会の中で
「ブランド」
という用語が使われるとき、大体は、
「三大ブランド、それは①統一原理、②真の父母、③祝福(結婚)」
というふうに言われます。
先日、清平の修練会に参加した折、講義の中で文先生のみ言葉が訓読されました。
その一節に、
「我々が誇るべきもの」
という内容があり、その中の一つが、
「祝福家庭」
だと聞こえてきました。
それを聞いた時、なぜかハッとしたのです。
「誇るべきものが『祝福(結婚)』ではなく、『祝福家庭』であるとは、どういうことだろう?」
「祝福」と「祝福家庭」。
どこが違うのか。
ちょっとした違いのようにも思えますが、後であれこれ考えてみると、重要な違いがあるようにも思えてくるのです。
原理を学んでみると、「祝福」は原理の核心であり、またメシヤの使命の核心でもあることが分かります。
だから、「祝福」は当然、三大ブランドの一つであるといっておかしくはない。
しかし、文先生は誇るべきものは「祝福」ではなく「祝福家庭」であると言われたのです。
「祝福」は天からの恩恵であり、メシヤが勝ち取ってくださったものですから、確かにかけがえのない価値があるでしょう。
それに対して「祝福家庭」とは、「祝福」を受けた者が自ら作り上げていくものです。
天の恩恵を形あるものにしたのが「祝福家庭」です。
天の恩恵である「祝福」は、形がないので目に見えない。
「祝福家庭」は形があって目に見える。
「祝福」を種と言えば、「祝福家庭」はその実でしょう。
文先生は、
「種を誇るのではなく、実を誇りなさい」
と言われたことになります。
どんなに美しい花であっても、その種を持ってきて、
「この種は美しくて、素晴らしいでしょう」
と誇ることはできません。
いくら誇っても、種自体には美しさはありません。
種を誇る人は、却っておかしな人に映ります。
その種の素晴らしさは、それが成長して花を咲かした時に初めて分かるのです。
同じことは、他のブランド「統一原理」や「真の父母」にも言えます。
「統一原理を誇るのではなく、その原理によって形成されたあなたの人格を誇りなさい」
「真の父母を誇るのではなく、真の父母によって生まれ変わったあなたの生活を誇りなさい」
と、文先生は言われるかも知れません。
「誇るべきものを間違えてはいけない」
というのが、清平のあの一瞬に教えられたことだったかも知れないという気がします。
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